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「帰国子女」って、何?


以下は、月刊『海外子女教育』(海外子女教育振興財団:発行)の1997年2月号に特集として古家が書いた原稿である。発行元の許可を得て、ここに全文を再掲する。

「帰国子女」にこだわる

『私情つうしん』第一号の発行部数は約三五〇だった。
 だがリアクションの大きさは予想外のものだった。発行直後から電話やファクシミリ、郵便で毎日のように連絡が入り、一カ月後には三十通以上の手紙が届いていた。
 わずか六ページでスタートしたミニコミ誌が、二カ月後には十四ページで第二号を発行することになった。届いたたくさんのお便りを紹介するため、「応援席」という欄を新設した。そこにはたとえば、
  I think the biggest problem was that although there were so many things that hit us and so many things that we wanted to raise as an issue, but, there was no place to raise our voice and most of all there were no recipients who were experienced enough to understand the way we think and the way we feel./最大の問題は、私たちいろんなことにぶつかって、そのことについて声をあげたいと思っても、それを受け取って私たちの思いや考えを理解してくれる人がいなかったこと(ノーラ・コーリ
 ホンネが語れそうな仲間からのお便りにうれしくなりました。(塩崎万里
ということばが載った。
 コーリさんも塩崎さんもかつての帰国子女である。思いのほか大きかったリアクションは、最初ほどの爆発的な勢いは失いつつも、現在も引き続き舞い込んでいる。特に、創刊から半年たった一九九六年一月から『私情つうしん』に掲載した内容をすべてインターネットのホームページとして公開するようになると、海外から電子メールで見知らぬ人がお便りを寄せてくれるようになった。
 アメリカ在住の元・帰国子女、寺尾栄子さんはインターネット経由で、
 きっと「やっと私達の場が出来た!」と思っている方達が多いと思います。(第五号「応援席」
と書いてくれた。たとえば初めてコンピュータを手に入れ、インターネットにアクセスした人が「帰国子女」をキーワードとしてホームページを検索し、『私情つうしん』に出会って十年ぶり、あるいは二十年ぶりに「帰国子女」の意味を考えたという手紙をくれたことも何度かあった。
「帰国子女」あるいは「海外子女」にこだわることによってかえって視野を狭めることになるという、おもに帰国子女でない人からの意見もあったが、それをはるかに凌駕する勢いで『私情つうしん』は「帰国子女」という四文字に結果的に執着してきたのである。

「帰国子女」を拒む

 何がこれだけ熱い思いの噴出を招いたのかは、僕たち主宰者がわにも定かではないが、発端の一つは第一号に僕が書いた文章かもしれない。『私情つうしん』では第一号からずっと最終面に「OとFとの往復書簡」という名の連載を掲載し、僕と大山智子さんのふたりが交互に思いをつづってきた。その第一信で、僕は「帰国子女」をどう英訳する? と書いている。
 従来、帰国子女のことはreturneeという呼びかたでいうことが多いようでした。でもこれは、明らかに和製英語だと思います。たしかにこの単語は英語の辞書にも載っていますが、意味はまったく違うようで、いわゆるネイティブ・スピーカーに尋ねてもまるで違うイメージが浮かぶそうです。単純にいえば、戦場から帰還した兵隊、あるいは刑務所から釈放された囚人、というのがreturneeという単語の持つ一般的なイメージのようです。
 ところで最近、日本では海外子女のことをexpatriated childrenと英語で言っているようです。これはかなり優れた中立的な表現のようですが、では「帰国子女」は?
 ex-が「外へ」ならば、「再び」の意味のre-をつければいいのではないかと考え、ぼくはrepatriated childrenというコトバを思いつきました。ちゃんと辞書(手元で調べたのはthe American Heritage Dictionaryですが)にも載っていて、「母国に帰る」という意味です。
 この文章は、ほとんどの帰国子女が嫌いだという「帰国子女」の四文字に対して、あえて英語に置きかえてコトバ遊びをしたものであった。だが、「帰国子女」の四文字が差別的だと嫌うにしろ、エリート臭がするといって避けるにしろ、要はコトバの問題ではなく「帰国子女」というカテゴリーを設けて「帰国子女」と「そうでない人」とを区別しなければならないこと自体を解消しなくてはならない、という思いがあった。なぜ日本語には「帰国子女」というコトバがあるのか、なぜ「帰国子女」とそうでない人とを区別しなければならないのか、区別することによってだれがどのように得をしているのか。そのような疑問が念頭にあった。
 ともあれ、ぼくの書いた「往復書簡」に対する第三者からの直接の反応は、「repatriated chldren」という英訳への反論だった。その投稿を寄せたノーラ・コーリさんは、シンガポール生まれの娘さんの視点に立って、次のように書いている。
 私は英語を母国語とし、日本に帰ってきて初めて日本語を覚えたシンガポール生まれの日本人。
 何度か一時帰国で日本へは行ったものの、一度もその地に住んだことはなかった。私にとってふるさとはシンガポールで日本は異国でしかなかった。そして四年後、私は日本へ渡った。決して日本へ帰ったとは言えない。  なぜなら以前そこに住んでいたわけでもないからだ。
 それでだれかが私のことを「帰国子女」と呼んだ。どうして?なぜ?私は帰国した気持は全くないのに。私が帰国するとしたら、そこはシンガポールしかないのに。(第四号、「海外生まれの海外育ちの日本人も日本に住んだら『帰国子女』?」
 そして、さらに
 ましてやrepatriated childrenなどはとんでもない。日本に来る海外生まれのベビーたちは日本に対するpatriotism (愛国心=古家注)すらないのであるからだ。(第四号、前掲)
 一方、この「repatriated」を気に入ってくれた人もいた。沢田ゆかりさんは、
 最初は「repatriatedといえば、本国に強制送還されたべトナム難民にも使う言葉だし、暗いイメージあるなぁ」と感じたんですけどね。でも親から帰国を告げられたときの自分の心境は、「ええ〜っ、どうしてアメリカに住んじゃダメなの。私はアメリカに永住したいよ」というもんでしたから、本人の意志と関係なく移住が強行されたという点では、オーバーでも「強制送還」という方がぴったりしてましたね。(第五号、「応援席」
とすてきに屈折した賛同の意を表してくれた。
 コーリさんはまた、
 一番のネックは結局私たちは何者ぞやの定義であった。「帰国子女」という名称がこれほどまで知れ渡り、これほどまで長い年月に渡って根付き、それでいて私たち当事者は「帰国子女?やっぱり変な名前よ。なんかひっかかるわよね。」と納得いかぬ状態が今なお続いている。(第四号、前掲
と言い、さらに第八号の「さらにこだわろう、『海外子女、帰国子女』」では、
 まずは自分は口が腐ってももう自分のことを「帰国子女」とは言わないようにしようと決めた。これはあたかも「どうぞ女・こどもを無能力者としてご覧下さい」と宣言しているようにさえ響くからである。(皆さんはいかがでしょうか。)
と断言している。いずれも自分や仲間が「帰国子女」と呼ばれて区別されること、あるいはこの四文字熟語そのものに対する抵抗感の表明だ。

「帰国子女」を無視する

 これまでに引用してきた文章が、いまの時点において四十歳前後の帰国子女たちの発言であるとすれば、二十歳代の帰国子女には違う認識が見られた。その代表格が「往復書簡」の相手かた、大山さんである。彼女はさっそく第二号の「往復書簡」で次のように書いている。
「帰国子女」とは、性質や能力を説明する言葉ではないのです。英語ができるだとか、討論や問題解決型の勉強に慣れているだとか、漢字が苦手であるとか、そんなことは「帰国子女である」ことではありません。私は英語がわかるから「帰国子女」なのではなく、積極的に自己主張をするから「帰国子女」なのでもなく、ただひとえに中学・高校時代を海外で過ごしたから「帰国子女」なのです。そういう「海外育ち」を帰国子女と呼ぶなら、勝手にそう呼べば、ってなもんです。私はいつでもどこでもただのオーヤマなのさ、とうそぶいていようと思います。
「帰国子女」と呼ばれることに反発するも何も、そもそもそんなことに興味はない、「帰国子女」というカテゴリーに入れられる前に「自分は自分」、という立場である。
 ほかにも二十歳代の帰国子女から、
 私はあまり自分が帰国子女だと意識したことがありません。でも大山さんの言うとおり私はいつでもどこでも私なんだ! と自分を見失わないよう(これは、帰国子女に限らず)道を進んで行くことが大切なんだと思います。帰国子女というブランドを身につけて生きてゆくのも良し、社会が勝手にイメージしている「帰国子女」のように振る舞うのも良し、とにかくハッピーに生きてゆくことが大切ではないのでしょうか。(高索佳子、第三号「応援席」

 日本国内にいるときは、「帰国子女」も海外にいたことを忘れるぐらいが丁度いいのではないでしょうか。好き嫌いにかかわらず覚えなければいけないことは覚えなければいけないですから。(木村慶一、第四号「応援席」
といった声が届いている。

「帰国子女」というレッテル

 大山さんの世代は、「帰国子女」としての自分より以前に、たとえば「大山智子」という自分がいると言う。
 しかしそれで済ませてしまうのならば「帰国子女」というコトバや「帰国子女教育」という現象が存在するこの社会を問い直すことはできなくなるのではないか。なぜ「帰国子女」が特別扱いされなければならなかったのかという問も、区別されることによってよきにつけあしきにつけ「普通でない」カテゴリーに入れられてきた自分の意味を問い直すことも封じられてしまう。彼女たちの思いはわかるけれども、そうさせてくれない世の中がこの国にはあるではないか、という僕たちの世代の反論が生まれた。
 この問題を巡っては、『私情つうしん』の編集や発行のために顔を合わせていてもよく話し合ったし、誌面でも繰り返し議論になった。
「自分は自分」と言うことは当たり前に過ぎて「それを言っちゃあ、おしめえよ」なのだけれど、自分の文化的アイデンティティのとらえ方としてこだわりが淡泊になってしまったんですな」(大山智子、第六号「往復書簡」
 僕は、「帰国子女」です。そう規定して、生きてきました。
「帰国子女」というコトバは、ただ海外滞在歴を示すだけではなく、なんらかのスタンダードから見て「変」であると言われてしまう存在の名でした。それゆえにこそ、そう言っている人自体が「変」なのだと言い続けてきました。違うならば、違うままでいよう。それに人が「帰国子女」という名前をつけるなら、その名前に意味を与えるのは自分でしよう。それを「変」だとは、言わせない。
 その結果、僕にとっては僕自身の内面を問うことがそのまま「帰国子女」を問うことになってきていたように思います。(古家 淳、第三号「往復書簡」
「帰国子女」であること自体が問題であるとされた時代を生きてきた僕は、「問題」が実在するのか否かを問うためにも、「帰国子女」というレッテルにこだわるほかはなかったのだ。
「応援席」では、先述の沢田ゆかりさんが、「帰国子女」というレッテルについて考えることが自分の武器にもなる、という視点を提供してくれた。
 帰国子女の体験を「個人の問題」に還元するだけじゃつまらない。確かに「他人は他人、自分は自分」という認識をしっかり持つのは大事でしょう。安易に「帰国子女」をおおざっぱに分類して典型を抽出して、そのうえで議論されるのは本人としてはムカつくし。なにより現実にいま悩んでいる人には、「他人は他人、自分は自分」と個人ベースで考えた方が生産的でしょう。でも私は社会人になってからですが、対処療法じゃない「帰国子女」の議論の方に興味が湧きます。
 こんなことは文化人類学者や社会学の研究者に任せておけ、といわれるのかな。でも個人の覚悟と社会的な位置って、別の次元で考える必要があるんじゃないでしょうか。そして社会のなかで生きていく以上、私は自分の立場を個人だけじゃなく社会的文脈のなかで説明するための道具を磨けばいい、と思っています。(第五号「応援席」
 一方、人をカテゴリーに分けて区別しレッテルをはること自体は、「帰国子女」以外にもさまざまなケースがある。『私情つうしん』では「往復書簡」第信で「大学生」というレッテルについて、さらに大山さんが第六号「世界観を変えた左きき」で「左きき」というレッテルについて語り、話をふくらませていた。
 そして第六号で、「往復書簡」に飛び入りという形で参加してきた細本由里さんがこの「レッテル」問題に一つの決着をつけた。
「帰国子女」の場合は、それがやはり社会的レベルのレッテルであるが故、個人に及ぼす影響も深刻なのだと思いますが、私たちは日々、もっと個人レベルのレッテルを他人によって貼られ、また気をつけないと自分も他人に貼っているのだと思います。(そしてそれが原因で私たちの同一性はいちいち揺らいでいるはずです。)それは全て私たちの勝手なアサンプションに則ったジャッジメントなのです。「帰国子女」の場合、それが社会的なスケールで展開されたわけですから、その審判をまともに下された人間としては、たまったもんじゃなかっただろうということは容易に想像できます。
 私に言わせれば、「人はこうである」と決めてかかること、これは全くのナンセンスです。それは傲慢極まりありません。私たちにできることは、相手がどんな文化的背景を持とうと、どんな思想を持とうと、それに対する判断を下して切り捨てたり、それを特殊な分類にカテゴライズしたりするのではなく、それを全面的に受け入れることだと思います。そうして初めて私たち一人一人が、「自分は自分である」と言い切れる社会になるのだと思います。
 レッテル自体を受け入れることが、「自分は自分」というための第一歩であると言う。しかも返す刀でレッテルを受け入れないまま「自分は自分」と言い切ってしまうことはレッテルをはる人々を切り捨てることになると、次のように警告している。
 相手が受け入れてくれない社会において、「自分は自分である」と言ってみたところで、私の場合は一種のむなしさが残ってしまいます。なぜならそれは切り捨てた側同様、切り捨てられた側の一人よがりだからです。そもそも切り捨てる側が間違っているのですが、切り捨てられた側も「関係ありません」ということになってしまうと、両者の歩み寄りは永遠に望めないでしょう。それを考えれば、どちらの立場に立っていても戦って切り捨てるのではなく、受け入れて吸収することが私たちの行くべき道だと思います。(同上)
 相手を切り捨てることによってではなく、受け入れていくことによってこそ、自分も受け入れられるのではないか、というふうに読める。

「帰国子女になる」ということ

 この「帰国子女」というレッテルを巡る議論は、あくまでも「帰国子女」のがわが一方的に日本社会によってはりつけられるという構造の中で進められたが、そうではなく、逆に自ら「帰国子女になる」のだというテーマがすでに「往復書簡」第二信から顔を出していた。
 内面的に自分がどう帰国子女であろうか、あれるかを考えていたわけです。けれども思いを巡らすうちに、だんだんどうでもよくなってきました。
「帰国子女」というコトバには日本への強力な磁場が持たされているように感じます。しかし、海外に出たことによって日本という国の磁場が解体され、相対化してしまった時点で、私にとって「帰国」とは「自分の国」に帰ることではなく、日本という数ある国の一つを自分の人生を展開する場として選び直すこととなったのだと言えます。そして私は内面的に「『帰国』子女」になろうとすることをやめました。(大山智子、第二号「往復書簡」
「帰国子女」という四文字の持つ意味を広げていくことによって結果的に従来のレッテルとしての「帰国子女」を越えていくような感じのコトバも寄せられた。
 たとえば“帰国子女受け入れ校の一般生”だった大学生、河野陽子さんは、
 大学に入った当初はうまくなじめず、(こう言ったら帰国生の友人にしかられましたが)なんだか“帰国子女”にでもなったかのような気分ですごしていました。やっぱり、私は、大勢の中にいるわたしとは何者か? という問いを忘れたくないのだと思います。つうしんの中に度々出てくる「こだわり」という言葉は、私がつい最近まで悩み続けたこと、高校に入ってからこのかた、今も続くある種の居心地の悪さにも似ている気がします。(第六号「応援席」
と書き、「帰国子女」と一般的にいわれることはない河野さんも、「帰国子女」たちの持つこだわりを巡っての議論に共鳴すると表明してくれた。「帰国子女」という経歴がなくても、またそう呼ばれる立場になくても、自らが「帰国子女」であると感じることはあるのだ。
 一方でまさに帰国子女と呼ばれた経歴を持っている柴崎由良さんは、
 私はどこへ行っても「帰国」している感じがしないので、帰国子女とは限定できないかもしれません。いわば、母国がない人間って感じです。
 日本だけでなくてアメリカでも帰国子女をしているってことは、やっぱりどっちも母国だし、日本でもアメリカでも帰国子女っていう結論ですかね。母国という意識があるようで、ないような、ないようであるような人間なのでしょうか。舞台が日本だけにとどまらない自由があって、子供の頃の苦しい経験が生きていてよかったと思います。(同上
と、「帰国子女」というコトバに「地元に違和感を持つ」といったニュアンスを含ませ、新しく自分流に使っている。
 では自ら「帰国子女」を名乗るとき、それはどのような意味を持っているというのだろうか。『私情つうしん』がインターネット経由で見知らぬ人からのお便りを数多く受け取るようになっていた第八号で、大山さんは作家の島田雅彦氏にインタビューを行い、その発言をもとに、これに明確な答えを与えた。大山さんはまず島田氏の小説に数多く登場する「帰国子女」について、次のようにつづっている。
 ひところはやったバイリンギャルのようなイメージからは遠く、どこか文化と文化のあいだに落っこちてしまった、または、すすんではまりこんでいる、あるいはそこでしたたかに生き延びているようなにおいを感じさせる人物像だ。(大山智子、第八号「この人に聞きたい!島田雅彦さん、帰国子女ってなんですか?」
 そしてこれをヒントに、「帰国子女」を次のようにとらえ直す。
 日本のよそ者――。そもそも日本以外の場所で生まれた、あるいは日本語でない言葉を取り込んで育った子供たちにつけられた「帰国子女」という言葉は、そのような生い立ちを指すために生まれたのではなく、日本人でありながら「日本人」とは見なし難い日本人であったがために発明された名称だ。
 日本に住むこと、日本語を話すこと、日本人の親をもつこと、日本の国籍をもつこと、日本の文化を受け継いでいること、すべてを一緒くたにしてできあがっている「日本人」という言葉には、そういう人たちを収容するカテゴリーがなかったのだ。よそ者の要素をもちつつ、まったくの外来人とも見なされない存在としてキコクがある。(同上)
 ここにおいて「帰国子女」とは、単に海外で子ども時代の何年間かを過ごしたという経歴を指すのでもなく、またその一般的な特性とされることを指すのでもなくなる。もちろん、「日本の勉強ができないかわいそうな子どもたち」とか「英語ができるエリート」といった意味で他者にはられるレッテルでもない。
「キコクっていうのはずっとなり続けるものです」島田氏は答える。「努力してキコクになるものなんですね」(同上)
 大山さんの報告によれば、島田氏は、
 いうなれば、ぼくは普通のネイティブの日本人だが、キコクから見ればサイボーグのキコクでね。つまり、自分で自らをキコクに仕立てようとしている偽キコク(同上)
を自称している。この背後にあるものは「よそ者であり続ける」という覚悟を示す自覚的な思想だ。その象徴としての「帰国子女」という道が開かれている。この意味ではだれでもが「帰国子女になる」ことができるのだ。
 日本社会の真っただ中で生きるよりも「異文化の波打ち際」(村上龍氏の表現から)を住み家として生きようと決心し、今に至っています。別に「コクサイ人」じゃなくてもいい、「クニギワ人」(山口文憲氏の表現から)でいい。(石原嘉人、第八号「応援席」
 これを書いてくれた石原さんは、一年半、台湾でボランティアをしていた。また、最近の『私情つうしん』にはオーストラリアやアメリカから、日本人ではないけれども複数の文化を自らのうちに背負って育つことによって、「母国」の文化からはみ出し、異文化間の問題に興味を持つという人々が参加してくれるようになった。
「帰国子女」というコトバを、これからの『私情つうしん』では、そういう人々みんなに使っていこうと思う。社会を切り捨てにせず、かつ切り捨てられもせず、しかしどの一国家、一集団、一文化の枠にもとらわれずに世界を渡り歩き、レッテルをはられようがはがされようが、ただ「自分」として生きていくことを目指す思想の象徴として「帰国子女」と言っていきたい。
 大山さんが書いた先の島田雅彦氏へのインタビュー記事は、次のように終わる。
「よそ者であり続けること」の比喩としての帰国子女。「ガイジン」でもなく、常に何に対する「よそ」なのか、だれにとっての「よそ者」なのかを問われる存在。だったら「帰国子女」もまだまだ当分おもしろがれる。
「帰国子女」を無視し続けた大山さんが、初めて「帰国子女」をおもしろがれると書いている。それを読んでぼくには「自分であること」と「帰国子女であること」が、融合する時代を迎えた実感が生まれてきた。

 


by 古家 淳

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初出:月刊『海外子女教育』 1997年2月号
転載許可海外子女教育振興財団

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