私情つうしん 第9号 1997年2月発行

定本:内国子女教育の歴史

第4章 内国子女教育の黎明

§1 大環流の中で

文・古家 淳
挿絵・本多さつき

連載の前の回は?

 第2章「ヤポネシア・ランド」で、ユーミン・フーミンの大還流の結果、この島国全体がテーマパークと化したことを語った。前節まででそれ以前に築き上げられていたノーミン・ムーミンの教育文化を説明したが、これはすべて大還流以前のことである。
挿し絵1 大還流によって、ノーミン・ムーミンはその生活も文化も大変貌を遂げざるを得なかった。なにしろ、国外から100倍に近い人口が流入したのである。原生林は「原生林の姿をした書き割り」へと作り替えられ、「都市の顔をしたテーマパーク」として数多くの都市が再建された。新生ヤポネシア・ランドを支えた労働力はその多くが帰国したユーミン・フーミンたちであったが、ノーミン・ムーミンのほとんどがこの新しい遊興経済に組み込まれることになったのは自然のことわりであった。なにしろムーミンにとってはまさに聖域と言ってよい、京の都にわび住まいをしていた天皇の住居でさえ観光名所となったのである。ガラス越しに天皇一家の生活を眺めるそのツアーは1年に数度しか行われなかったが、毎回数万の観光客を今でも引きつけている。本来そこで働いていたムーミンたちもアトラクションのホストとしての仕事をユーミンに習い、対応せざるを得なかった。
 ところでこの稿の本来のテーマは教育である。そこでどうしてもこの大還流に伴う大激変によって起こった教育の変化について語らなければならない。否、それこそこの稿の本来の主題であったのだ。すなわち「内国子女教育」の誕生である。お待たせしました。いよいよ、本題に入るぞ。
 さて「内国子女教育の黎明」と後に呼ばれるようになった**70年代、都市部におけるユーミン・フーミンの子どもとノーミン・ムーミンの子どもの数は1000人に1人といった比率になっていた。もともとノーミン・ムーミンの子どもはかつて都市だった場所の廃墟を避けて山間部に住むことが多かった一方、ユーミン達は本来交通の要衝としての地の利を備えた場所にテーマパークを建設したからである。環流したユーミン・フーミンは、さっそく自分たちの子女を教育するために学校を建設した。その多くはテーマパークの地下や、書き割りの背後に建設された。もちろん、そこでの教育の内容や制度は世界を席巻したユーミン・フーミンの文化に則ったものであり、そこに学ぶ子どもたちもいずれはフーミンとして世界を放浪し、ユーミンの生計を立てていくことを想定されていたから、その限りではエンターテインメントの継承を主目的にした学校には何の問題もなかった。
 ところがそれで困ったのは、何かの間違いで(と言うより、生活の場を追われて否応もなくテーマパークで働くようになった親のために)ユーミンの学校に入ってしまったノーミンの子である。ユーミンの子どもたちは、物心がつくころには2つから3つの言葉を自由に操れる。ものごとにこだわらず広い視野で柔軟に発想する。自分を前面に出さずには生きていけないからのべつまくなしに意見を言っている。教員も当然ながらそういう子どもたちのなれの果てであり、黙っている子どもは無視する。彼らの目には、静かな子どもなど存在しないも同然であり、仮に気がついたとしても意見を言わないということは無能だとしか思えないのであった。ましてノーミンの子は外国語など聞いたこともない。ネイティブ・スピーカー並の語学力を前提とした言語の授業では、ノーミンの子どもたちはぢっと黙って手を見ているだけであった。むしろそれが美徳とされていたノーミン文化に育てられているのだから、ほかの科目でもそうしているのがノーミンの子どもたちであった。
 しかし、教育者というのはいつの世にもいるもので、中には自分の受け持った子どもに一人一人細心の注意を払い、それぞれの子どもの幸せを第一に考える人格者も数えるほどの少数とはいえいなくはなかった。彼らは、やがて気がつく。ノーミンの子どもも、言われるほどまったく無能ではないのかもしれない、と。そこでそうした教員が互いに連携をとってある調査を行った。このときに初めて使われたのが「内国子女」という言葉であった。おりしもヤポネシア・オリジナルのテーマパークを運営していこうという機運に恵まれ、ヤポネシアの土着文化を学ぶ必然性が生じていたという政治的なタイミングの良さもあった。ノーミンやムーミンの労働力を取り入れる必要上、その子どもたちの教育の場を保障しなければならないという議論も聞かれていた。中にはノーミンの子を最初から受け入れない学校もあったのだが、ともかくノーミンの子であれムーミンの子であれ、テーマパークの中に住んでいるからには学校で学ぶ権利を持つという見解が表明されたりもした。
 その結果、明らかにされたのは、ノーミンの子どもたちは最初は無能であるが、数年間ユーミンとともに学んでいくうちに周囲のユーミンに感化されて普通の子どもになっていくという事実であった。そこでこの過程がより詳細に研究され、「内国子女の適応」という分野が生まれた。障害の重いノーミンの子がどのようにそれを克服していったかなどの症例がいくつも報告された。

挿し絵2


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