私情つうしん 第9号 1997年2月発行

Letter from California

by 倉又奈保子


 アメリカでの留学生活も2カ月が経ち、いつの間にか夏が終わっていました。この間、私はいままで思っていたことがまったくくつがえされるという経験を何度もしてしまいました。ひとつには、アメリカは常に「異分子がある集団に入り込むのに寛容(松下博俊さんの言葉から)」ではないということを挙げたいと思います。確かに異邦人にはにこやかに対応し、歓迎さえしますが、決して彼らの社会に入り込むのが簡単なのではないのです。右下図のように、お互い気持ち良く暮らすためのゆずったりゆずられたりする範囲の中に入れてもらっているだけだと思います。 chart  第一、彼らは他の個人や社会に共通点や理解に伴う結びつきを要求しない。でも私は求める→したがって優しくされても楽しくお話ししてもちょっと物足りない。日本人の方が異質な他者への関心が高いのだな、と感じます。同じ顔をしたような白人でさえ、同じoriginを持つ2人というのは希有なのですからアメリカ人は、その点は麻痺させなければいけなかったのかも知れません。また面白いことに日本語をしゃべる外国人には日本人はぐっと親近感を覚えるのに対し、私がどんなにナチュラルな英語をしゃべってもアメリカでは同様に入り込むことができないんですね。こんなにいい人そうな顔をしている私がそれですから、なかなか相手は手ごわいです。
 それからもうひとつ、信じられないことに、西洋人の中にひとりでいるのが、とても怖い。これはキリスト教教会のSunday Schoolで味わったことです。別に見とがめられるわけじゃなし、話しかけたり話しかけられたりするのに、こう、異物感、とでも言いましょうか、ちょうど異性の手洗いへ入った時のような気分です。反対に日本人以外のグループで一番安心するのが韓国人です。これは、私が韓国に3年間住んでいた影響かも知れません(在韓中は居心地悪かったのにも関わらず!)。大体、西洋アメリカ人にとっては、日本人も韓国人も大差ないらしいですね、どうやら。怖がっている自分に気がついてしまった時、もう6年も「国際何ちゃら」について考えている私という人間も実はracistなのかと思ってがっかりしてしまいました。最近は西洋人の中にいるスリルや話が通じているのかいないのか判らない危うさも楽しんでいますけれど。
 私はアメリカが気に入りました。多様な人間が楽しめるようにできていると、まぁ少なくとも政治的・経済的に不利でない私は感じるわけです。残りの6カ月、まだまだ破壊的な(?!)できごとが起こりそうな予感がしますが、その都度こうして報告させてください。