私情つうしん 第8号 1996年9月発行
応援席
私情つうしん へのメッセージ
by Hsiu Mei WONG
by 石田真紀
by Masayuki YOSHIDA
by 鈴木純子
by 青木佳保里
by 相川千絵
by 並木みどり
by 松下博俊
by 中西 茂
by 石原嘉人
あなたも『私情つうしん』にメッセージをお寄せください。
I found out about your site whilst I was doing research for my sociology exam. I was studying the issues surrounding minorities and cross cultural communications and stumbled upon your page by accident!
Your articles were very enlightening. I was wondering if the changes in the way Japan views "kikokushijo" has altered in response to the economic position of Japanese trade. Such that with increased globalization especially of the economy, Japan can no longer stand "as an island" - it cannot neglect the fact that foreigners and repatriation of its own people will be a fact of life in the world we live in. Does stigmatization of "outsiders" still occur? Why? - does it arise from a position of "fear" and ignorance? or is it because of the potential for "disruption" of the harmonistic Japanese culture / ethic which has been socialized into the Japanese People?
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石田真紀 Maki ISHIDA
I've been looking for this kind of a network!! I 'm also a so-called "kikokushijo". 5 years in New York, 4 years in Romania, and 6 years in Los Angeles. It's been 3 years since I returned to Japan and still going through this "adjusting stage". I just quit working for this typical Japanese company as an interior designer( just got tired talking in "敬語")so now I'm a house-wife who's desperate to talk to someone in "ちゃんぽん". So, anybody who lives close by (市川/千葉)and want to talk or get together, please mail me at makneim.fa2.so-net.ne.jp
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Bostonよりお便りしています。僕はこちらにきて3年でそろそろ日本語が怪しくなってきており、感慨深く読ませていただきました。僕のスタンスはやはりあまり気にせず、チャンポンでもなんでも話すという感じです。日本に帰ったときに はやはり町で外国人?をみかけると何となく話しかけたくなったりします。それと、いつも帰国して東京のラッシュアワーに遭遇すると本当に皆黙々と目を伏せて歩いているようで、なんとなく悲しくなります。でも、一週間もすると慣れちゃうんですよね。
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シンガポールへ来てもうすぐ4ヵ月。今月2歳になったばかりの長男がいます。当地では、日中の外遊びができないため、1、2歳からローカルの幼稚園に入る日本人の子供たちがたくさんいます。
わが子は言葉の出ものんびりで、もう少し日本語がしっかりしてから、可能なら英語を、とおもっています。 まず、頭の中で日本語でしっかり考えることができるようになるのが先決かなと。でも、そんなこと関係ない、同時進行したほうがいいわよ、という声もあって。 昼間遊べる友達も、幼稚園にいってていないし、 週1回の体操教室にもっと、というのもなんとなく。 みなさん、海外在住の2歳児の現実の生活について どうぞ、おしえてください。
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最近我家でもパソコンを購入、ネット検索を試みて『私情つうしん』の存在を知りました。サポーター名簿を眺めていたら懐かしい友人の名前も見つけ、ますます身近に感じ、思い切ってお便りをさせていただくことにしました。
かくいう私も帰国子女です。
父と主人の転勤に伴い3回も同じ場所ロンドンで計11年を過ごしました。11年と言っても帰国子女社会では決して長くは無く、11年間続けて行っていたと言う人も多いはずです。『私情つうしん』の投稿記事を拝見して中には70歳になられる帰国子女の方もいらっしゃるのにはさすがに不思議な驚きを感じましたが……。
投稿記事を読んでいて何だか「らしいな〜」という気がしました。大人びているんですよね、最近の帰国子女って。帰国子女と一口に言っても時代で全然違うんですね。今の海外における帰国子女の受験戦争もしれつ極まりないものがありますが、昔は行き先が少なかった分子供ながらに「私ここ落ちたらどこ行くんだろう」とプレッシャーを感じ、公立校ではマイノリティーとしていじめに耐え、私は「何で私がパパの仕事の犠牲にならなきゃいけないの」と思う毎日でした。高度成長期における古い日本社会において父親の海外単身赴任なんて辞書に無かったんです。(当時は海外赴任と言ったら、飛行場に親族みんな集まって水杯状態だったんですから)随分とひどい目にもあいました。いじめられっ子の私も強く逞しく育ちました。私の時代にはアイデンティティ・クライシスなんてあったかな〜。先が読めない分その時その時を一生懸命に生きていたような気がします。我家は主人も帰国子女です。彼に言わせると私のやはり帰国子女の友人とその帰国子女のご主人の4人で飲みに行く時が一番楽なのだそうです。(一説には私の突拍子の無さに動じない人々だからという噂もありますが)そんなもんでしょうか。今という時代を生きる帰国子女の皆さんが私にはとても頼もしく感じられます。私は今でも人生を生きて行く時に綱渡りをするときにバランスをとるような感覚を感じます。「帰国子女は死んだ」と書かれた方もいらっしゃいますがそうでしょうか。今の帰国子女の皆さんは私の時代の帰国子女と違って体制に迎合する必要も無く自由で選択の余地もあるじゃないですか。私は密かに男女雇用機会均等法は帰国子女の中でしか生き延びていけないのでは無いかと思っています。これからも『私情つうしん』頑張って下さい。陰ながら夫婦共々応援させていただきます。
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私はいまデンマークのフォークハイスクールという学校に留学中です。私は20歳になったばかりで海外に住んだ経験はまだ半年ほどですが、それでも自分の中身がどんどんインターナショナルになっていくのが実感できて、これからどのようにこの誇るべき価値観を生かしていくのか、思案中です。たぶん私はハーフ“キコク”なのでしょう。
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ISEKにおいてもインターネットで海外の情報を取り入れたり、E-mailで相談を受けたりすることがすこしづつ増えております。私も1994年度国際理解教育賞を文部大臣よりいただき継続してきたことに意義があったのだろうかと少し満足しています。お陰様で企業のサポートも拡大し海外への調査、講演、教育相談もますます増えております。先日もメキシコ、アメリカを巡回して参りました。これからもお互いに力を出し合って日本の地球レベルでの貢献について考え実行いたしましょう。今後、帰国子女教育から視点を広げ、日本の、世界の、地球の人育てを考えるメデイアとして私も参加させてください。「私情」から「友情」「人情」「愛情」へと発展されることを期待しています。少しでもサポート出来ればと思いサポータに名乗りを上げることにしました。
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私はいわゆる帰国子女ではありません。しかし、社会人になってから2度ほどアメリカへの駐在経験があります。したがって、帰国子女ほどではありませんが異文化間の違い、軋轢で悩んだこともあります。また、音楽が好きで日本でもアメリカでもオーケストラに入って演奏をしたことがあります。
このような集団の中での居心地というのは、やはりアメリカの方がいいと感じます。どうも日本の方が気を使って疲れてしまう、ということがあります。これは、アメリカというのはもともと移民の国で異分子がある集団に入り込むのに寛容であるからではないかと思います。日本だと、集団から見えないプレッシャーが発せられて、みんなと同じでないと許されないという雰囲気に飲み込まれてしまいます。そう、目立ってはいけないんですよね。これがアメリカでは、自分の個性・特性を前面に押し出して自分をアピールするというのは、全然悪いことではないし、逆にそうでないと認めてもらえない。オーケストラでも「私は日本人です。だから、言葉はネイティブほど上手くない。でも、一生懸命練習しますよ」といって、最後にはまわりの信頼関係を築きました。
でも、日本だと自分を押し出すことは、かえって疎まれてしまいます。だから、まわりと同じようにしなければならない。このため常に周囲にアンテナを張り巡らさなければならず、それで疲れてしまうと思うのです。そういった背景から#7の「定本:内国子女教育の歴史」は興味深く読まさせていただきました。今後も楽しみにしておりますので、がんばってください。
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『私情つうしん』#7、地曵裕子さんの原稿に、目が点になりました。「また、中学3年生が、いじめが原因と思われる自殺をしました」。続いて、「少年の死は新聞の社会面で大きく取り上げられ」(ピ〜ン)。「その日の翌日の紙面に、文部省の何とか会議の委員に、自殺研究の専門家を加えるという記事が載った」。その記事は私が書いたものです。
文部省担当の記者としては、いじめの問題から目が離せません。「子供を指導するより、死を選んでまで抜け出したいと願った環境(学校)そのものの体質を問い直す会議であってほしい」。まさにその通り、教育の総元締めを見ていると、はがゆさを感じます。
極論を言えば戦争でも起きない限り、教育の仕組みはガラガラポンとは変わらない。帰国生を含め、転校生がいじめの対象になりやすいことに象徴されるように、異質なものを認めない世の中を少しずつ変えていくのもペンの役割。その意味で、『私情つうしん』にはおおいに期待してますし、機会があれば、この点でみなさんにお話をうかがいたいとも思っています。このページのトップへ
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記事の中で一番印象的だったのが「OとFの往復書簡」でした。風見鶏の暴言については、当時大学生だった私も憤りを感じ、後輩にこんな話をしたのを覚えています。
「日本は単一民族国家である。ゆえに日本は優秀なのである」という議論は、 二つの嘘をいっぺんにつくことで聞き手の思考を停止させる姑息なロジックだ。 第一に、日本は単一民族国家ではない。第二に、単一民族国家が優秀だというこじつけには何の根拠もない。
大和朝廷を作ったのは朝鮮半島から来た人達だし(広域国家などという壮大なフィクションは、遊牧民にしか思いつかない思想だ)、日本各地に住んでいたいくつもの少数民族が稲作を受け入れることで徐々に「日本」と呼べる文化を共有して来たのは確かだが、アイヌ民族は今でも「日本」と違う独自の文化を持っていて、僕たちのことを「シャモ」と呼んでいる。オキナワの人から見れば僕たちは「ヤマトンチュ」だし、在日コリアンに言わせれば僕たちは在日日本人に過ぎない。多様性が新しい文化を生み出すのだから、僕たちに別の角度からの視点を与えてくれる人達が同じ「国」に住んでいることをないがしろにしてはいけない……
まあ、そんなふうに思ったわけですが、「往復書簡」を読んで、当時の私には「多文化の元でidentityを獲得する」という視点が欠けていて、ただひたすら「他者の視点を共有する」ことしか考えていなかったようです。少なくとも、当時の私には「国際人であるためにはまず日本人でなければならない」などという暴論に対して「ほんなら何か。俺は日本人にも国際人にもなられへんいうことか」と反論したくなるであろう人達のことは頭に浮かばなかったのです。
私自身は大学卒業後、就職した某商社を三カ月で辞めて、台北YMCAで一年半ボランティアとして暮らしたぐらいしか、海外で暮らした体験はないのですが、台湾から帰ってきて以来、日本社会の真っただ中で生きるよりも「異文化の波打ち際」(村上龍氏の表現から)を住み家として生きようと決心し、今に至っています。別に「コクサイ人」じゃなくてもいい、「クニギワ人」(山口文憲氏の表現から)でいい、というのが今の心境です。
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