私情つうしん 第8号 1996年9月発行
ノーミン・フーミンの学校では、何よりも「和の倫理」が尊重された。もしも仮にだれか一人がグループの規範に反する行動をしたとすれば、その責任はその個人にではなく、グループ全体にあるとされた。もしもだれかが居眠りをしたとすれば、それはそういう雰囲気をつくったグループの責任なのである。
こうしたグループでの生活に関するトレーニングは、早くも幼児の段階から始められた。おしっこを漏らしてしまった子が1人でもいれば、「班」と呼ばれる6人ぐらいが全員罰せられる。それならばいっそ、全員が一斉に漏らしてしまえばいいではないかと考えられるが、まさにその通りである。その結果、中学生にもなれば1人だけではトイレにも行けないのがノーミンの子どもであった。この傾向はとくに女子に強く、みんながトイレに行くときにいっしょに行かないだけで、あるいは逆にたった1人でトイレに行っただけで、グループを構成する他のメンバーから迫害される十分な理由になった。これは成人男性にも見られた習慣で、この場合はたとえば酔っぱらった中年男性の集団が公共の場で一斉に放尿する「連れション」なる儀式として見ることができる。
学校教育における集団主義は、子供の発達に応じて、年齢が高くなるほど集団が大きくなる中で育てられた。幼稚園では1つのクラスがせいぜい20〜30人であったものが、小学校になると30〜40人、高校にもなると50人という集団も珍しくない。大学レベルになるとさらに顕著になり、1人の講師が900人を相手に講義することも珍しくなかった。もっともそういう集団の中で行われる教育自体も、もちろん「和の倫理」に基づいているから、教師自身、創意工夫の余地はほとんどない。詳細で厳密に定められたマニュアル通りに、内容も方法も一事が万事画一的な授業を行うのがよしとされた。何しろ、日本全国どこにいても、どの学校に行っても、またどの教師に出会っても、同じ内容と水準の教育を受けられることが理想とされていたのである。マニュアルから逸脱することなど誰にも想像すらできなかったに違いないが、万一間違ってマニュアルを一行読み飛ばしてしまったりすれば、あるいはその解釈を誤ったりすれば、叱責は免れ得なかった。もちろん勤勉の悪弊に染まった日本人達のことであるから、教師も研究熱心ではあった。マニュアルの要求することは一体何か、どのようにすればより忠実に従うことができるかが日夜研究され、どんな成果も翌日から日本全国の教師が実践できるというのが尊ばれた。大学においても同様で、よい講師というものは百年一日のごとく、毎年一字一句異ならない講義を行い、どんな学生からも同じ反応を引き出せるのが特長とされていた。
海外に出たユーミン・フーミンの日本人達がエンターテインメント業界の貪欲な商業主義の中で究極の多チャンネル化を目指したのと逆に、国内に残ったノーミン・ムーミンの教育は、こうして究極の画一化を目指していたのである。