私情つうしん 第8号 1996年9月発行

パラダイムの逆立ち

3. 日本人学校というアイロニー

by 古家 淳

English translation by Monica SKIDZUN

 全日制日本人学校は、現在、世界中に92校ある。これらの学校は、当初は「日本並の教育を」という願いで生まれ、現在は「日本並の受験教育を」というプレッシャーに日々さらされつつ、それでも現地理解教育を試みている。中には非常に熱心に現地理解を進めようとしている先生も少なくはないが、結果としては淋しい限りである。
 一週間に1時間か2時間の現地語教育。中学になるとこれが(非英語圏の学校でも)英語に変わることは珍しくない。いずれにしても、それで日常の挨拶程度以上の言葉が話せるようになるというのか。英語圏にある学校で日本人の教師が日本語で書かれた教科書を使って英語を教えているというマンガじみた状況も消えてはいない。ネイティブスピーカーのアルバイト教員が英会話を教えたところで、それはまるで免罪符であるかのようである。
 一大イベントとして行われる現地の学校との交流会。年に一度、互いに民族舞踊などを披露し合っている。来年また顔を合わせたとして、はたしてそれで友達ができたといえるのか。挨拶以上のコミュニケーションは身ぶり手ぶりに頼っているのである。
 日本人学校の子どもたちの多くは、家に帰っても日本人の友達としか遊んでいない。親もまたしかり。日本人学校のPTAを中心に、狭いムラ社会で暮らしている。教員は、なおさらである。普通の海外駐在員が現地の人々を雇い、現地の人々と日常的に商談を行っている中で、学校の先生は日本人の子どもたちと日本人の保護者の相手をしていれば済む。
 日本人学校は、「日本にいなかった数年間によって発生する障害」を極力軽くするための存在として、日本という環境を輸出し、日本の教育というビニールシートを子どもたちにかぶせる温室なのである。そう考える限り、日本人学校における海外生活の何年間かは、帰国したときにマイナスでしかありえない。海外にいたことのマイナスを減らすための生活ばかりをしていて、プラスが生まれるはずはないからである。海外生活から何かプラスの成果を残そうと思ったら、温室を出て、苦労して言葉を身につけ、現地の人々と交わる中で十分な異文化体験を経験してくることによってしかあり得ない。

 と、ここまでは常識である。
 だがそう言ったところで、親の意向でか、あるいは「そこに日本人学校があったから自動的に」か、日本人学校で生活してきた子どもたちには救いがない。日本に帰れば、彼らでさえも「帰国子女」と呼ばれ、「それなら英語ができるよね」と言われ、場合によっては住んでいた国についてその国の外交官が聞かれるような質問を受けることさえもあるのだ。聞く方も聞く方だが、まるで答えられないのもシャクにさわる。
 この稿は、そういう「帰国子女らしからぬ」と言われる帰国子女に、エールを送ることを目指したものである。

 まず第一に驚くべきことは、日本人学校の出身者が、上記の常識に従えば信じられないほど、それぞれが住んでいた外国に強い愛着を持っていることが多いという事実である。ラテンアメリカに住んでいた人は自分がラテン系の性格になって帰ってきたと言い、東南アジアにいた人は日本人が東南アジアを見下すと本気で怒る。アフリカに住んでいた人は強烈な記憶を持っていることが多いし、中近東にいた人はかなり個性的だ。ところがこうした人々も、本人たちの証言を聞く限り、現地に住んでいた当時は日本国内にいる多くの人々と同様、現地の人々を見下していたり、早く日本に帰りたいと言っていたらしい。
 であるとすれば、彼らの帰国後の姿はどこでつくられたのか。それは、まさに日本での体験なのではないだろうか。先述したとおり、帰国すれば彼らも否応なしに「帰国子女」呼ばわりされる。そして東南アジアに住んでいたなどと言えば一般の同級生どころか欧米先進国に住んでいた現地校出身の帰国子女にすら、バカにされる。そこで一念発起、これではならぬと自分の住んでいた国を弁護し始めるのである。弁護するためにはその国について知らなくてはならない。案外多くの人が、日本に帰国してから本格的に自分が住んでいた国について学び始めるのではないだろうか。
 この背景にはもちろん、自分がそこに住んでいた何年間かを否定されては生きていけないという無意識かもしれないながらの自己防衛反応も働いているのに違いない。自分の過去を一部なりとも否定するのは、相当に重い精神的な痛みを伴う。現地にいるときは「日本にいない」とばかり思っていたものが、帰国すると「現地にもいなかった」となったら、これはたいへんなことになる。「自分のあの何年間かは、何であったのだろうか」と自問すれば、答えはどうにでもして「現地にいた自分」を取り戻すしかない。ここに至ってようやく、海外滞在をプラスにする営みが始まるのである。よく言われる帰国子女の帰巣本能、すなわち自分が住んでいた国をいつかは再訪するというジンクスも、この延長線上で考えられるだろう。
 次に不思議なのは、日本人学校の出身者も欧米式教育を受けて積極的な自己表現を学んできたと言われる現地校出身者に負けず劣らず学校でリーダーシップを発揮するという現象である。学級委員をはじめとして、生徒会活動や部活動で役付きになることも珍しくない。ある証言によれば、帰国子女受け入れ校でいつまでも家に帰ろうとしない生徒には帰国子女が多いが、中でも帰宅拒否に近い者はほとんどが日本人学校の出身者だと言う。
 この理由は、日本人学校が閉鎖社会であったことに求められる。すなわち、日本人学校の子どもにとっては(そして保護者にとっても、教員にとっても)、学校が生活の中心であり、すべてであったのだ。現地日本人社会にとっては、日本人学校が「地域社会」の核である。餅つきや盆踊りなどの年中行事も学校で行われる。主婦が趣味で集まるサークル活動も学校のPTAとほぼ同じメンバー。子どもにとっては、そこに行けば友達と遊べ、日本からのさまざまな情報と接することができるが、学校を離れればテレビを見ても言葉がわからないし、雑誌も新聞も読めない。現地でどんな音楽やテレビドラマがヒットしているかも知らない。まして町を走り回っていっしょに遊ぶ仲間が近所にいるわけでもない(日本人を除いて)。学校がなくなったら、きっと彼らの世界の9割がたは消えてしまう。
 こういう状況では、勉強の効率があがることもたしかだろうが、学校への愛着も深まる。当然のことながら、学校をたいせつにする。一言で言えば、日本人学校の子どもたちが持つ学校へのコミットメントは、国内の子どもとは雲泥の差があるのだ。
 だから彼らは帰国しても、そのコミットメントを持ち続ける。彼らの環境は、日本に帰ってきても学校を中心にするクセが残る。彼らは「日本」にではなく、「学校」に帰国するのだ。それゆえに、彼らは学校、そしてそこにいる教員や同級生に過剰なものを要求する。これまで報告された帰国子女の学校不適応の多くは、とくに日本人学校出身者の場合、こうした彼らの期待に日本の学校、その教員、そして同級生たちが応えられなかったことによって引き起こされたものが少なくはなかったかもしれない。

 これは一つの仮説である。しかしこのように考えてきて感じるものは、子どもたちがいかにたくましく、「親はなくとも子は育つ」あるいは「学校はなくとも子は育つ」だけの力を持っているものかという感慨である。むしろ「親がなければ子は育つ・学校がなければ子は育つ」と言い換えてもいいかもしれない。裏を返せば、どれだけ良心的な「よい教育」を施したところで子どもはそれを逆転してしまうという可能性もある。
 日本人学校よ、大いにそのトンネルの壁を厚くするがよい。そして子どもたちよ、自分を育てるのは結局、自分なのだと知るがよい。


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