私情つうしん 第7号 1996年6月発行

定本:内国子女教育の歴史

第3章 戦後日本教育の展開

§2 ノーミン・ムーミンの教育文化

文・古家 淳
挿絵・本多さつき

連載の前の回は?

 もともとノーミンが日本に居残っていたのは、彼らが時代の潮流に乗るだけの進取の気性に欠けるところがあったからと言っても過言ではない。とにかく事を荒立てず、何かもめごとがあれば全員が酒を酌み交わしながら昼を夜に継いで時間の流れを共有し、気がつけばいつの間にか決着がついていたというような感じで結論を出すことが日常茶飯事であった。たいがいのもめごとはこうした寄り合いの過程でそもそもの争点が何であったか忘れ去られてしまうようであったし、仮にそれでは「水に流せない」ようなものであればそれはどんなに話し合っても所詮ムダ、やがてより積極的でない方がムラを飛び出してムーミンとなる道を選ぶのが常であった。
 つまり、ユーミンやフーミンになるのが怖い人々が基本的にノーミンとしてこの列島に残り、その中でも活力のある人間が野心を持てばムーミンとなる、という構図である。
 こうしたノーミンやムーミンの子供たちを育てる学校では、当然のことながら表立って人との違いを述べ立てたり自分というものを際立てたりすることが徹底的に忌避された。たとえば徒競走では一斉にスタートした参加者は同時にゴールに到達するのがよいとされたし、授業の中で先生からの質問があれば全員が手を挙げるか全員が沈黙するかのどちらかができていないと「クラスのまとまりがない」と評された。
 ここまでの文章で「立」という字が何回か否定的に使われたのをお気づきだろうか。その通り、「目立つ」ことをはじめとして「口」も「腹」も「腕」も何事も「立つ」ことはよくないのである。「果報は寝て待て」と言われる通りで、三年寝太郎という英雄が理想のあり方だとされた。
 集団の中からどうしても何人かを選び出さなければならない場面、たとえば学級委員の選挙などでは、もちろん誰一人として立候補するものなどいない。それでも長大な時間をかければいつの間にやら全体の意見がまとまり、誰かが指名された。しかし指名された本人は決してそれを喜ぼうとはせず、むしろ迷惑だと感じるような態度を示すことが奨励され、また次の機会には「公平」を期して必ず別の人が選ばれるのであった。もちろん、委員に選ばれたからと言って何も自主的に動かなくてもよい。誰ともなく、どこからともなく、天然自然に湧いて出てくる雰囲気に合わせて流していくのがよいリーダーだとされた。
 こうした中では誰も自分の意見など思いつきもしないが、万が一「ちょっと違うな」などと思うことがあれば、その本人は激しく自責の念にかられるのであった。それは表情に出る。するとまた誰かが「あ、この人はかわいそうに、何かよくないことを思ったのね」と、その人への遠謀深慮を働かせ、やがて全員にその思いが伝わると新たな雰囲気が一つ形成されるのであった。

挿し絵


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