私情つうしん 第6号 1996年4月発行
人は誰でもオギャーと生まれる時、親をえらんだり、国や文化をえらんで生まれてくることは出来ない。人間の誕生はあくまで偶然と言うハプニングであり、日本風に言えば「何かの御縁……」でしかない。しかしその結果赤ん坊にふりかかってくる親と国と文化の影響たるや。何かの御縁どころではない。
私の父は明治15年、九州の田舎に長男として生まれ、弟妹が6人もいた。成長後、そのうちの弟夫婦と妹夫婦がアメリカに移住したのはわかるが、長男のくせに父が二十代で日本海をこえシベリアに渡ったのは一寸、奇異な感じがする。理由はともかくその父のおかげで私はウラヂオストックでスターリンのマインドコントロールをうけて成長した。
それから半世紀以上の月日が流れ、ロスの郊外にある叔父たちの墓の前で、アメリカ生まれのいとこたちと顔をあわせた時、何となく「親の因果が子に出てきたな……」と言う感想が浮かんだ。いとこたちはアリゾナの日系人収容所からアメリカ軍に入隊して戦った帰還軍人でアメリカ人ではあったが明らかに白人とは異なる、しめり気のある雰囲気を持っていた。私は私で、彼らからみるとかなり、非日本女性的だったらしい。まず声がでかい。まるでおじぎをしない。くすくす笑いをしない。日本語なまりはないが、どこともしれぬなまり(ある言語分析家によるとロシア語なまりだそうだ)の英語でギロンをふっかけるヘンなヤツだったと言う。まァ、お互い様だと思うが、この場に、日本育ちのいとこたちをつれて来ると、それぞれの親たちの行先によって、子供の出来上がり具合がいかにずれているのかが一目瞭然でわかるのではないか。只、幸いなことに宗教についての考え方が、皆、日本的に一致して「イイカゲン」だった。私はロシアンカソリックにも染まらず、アメリカのいとこたちもキリスト教にどっぷり、と言うことはなかった。親の持つゆるやかな宗教観がうつったのだろう。これがもし、北アイルランドやボスニアに生まれていたら、パレスチナに生まれていたら、到底イイカゲンの宗教観ではすまない。だからと言って、私もふくめていとこたちは、日本人の親を持ったことを無上の幸せと考え、感謝感激しろと言われても、そうはいかない。アメリカのいとこたちはどう考えているのかわからないが、私本人は、親と子供と国との関わりに言いたい文句が山程ある。昔は、全世界にむけて千万の山程モンクがあったが、やっとベルリンの壁がくずれて地球の上の風通しがよくなり、山一つに減った感じがする。
モンクの第一は、「歴史」を教育するのは自己陶酔のため、というのはやめてくれ!と言うこと。ポーランドとドイツがお互いの学校の歴史教科書をつきあわせて修正をやっているのはすばらしい。ぜひ全世界で実行してほしい。このことに関する限り日本の教科書における歴史認識も認知も、江戸時代以降から現在に至るまでずっと、ぼやけまくっている。そして親もまけずにぼやけているので、日本の子供たちの歴史ボケは世界一のレベルではないだろうか? チガウゾ! と言う、昔の子供・今の若者たちにあってみたいネ!
文句の(2)は……紙数がつきたから次にする。