私情つうしん 第5号 1996年2月発行
突然だが、この70年間、私にとって「国」とは一体何だったのか? と考えた。
最初に「国」の存在に気づいたのは5才。
私の肺炎を治してくれたロシア人の老医がそのためにスパイ容疑でつかまった時、「なぜ? なぜ?」を連発した私に両親は「ロシアという国のやり方なんだからどうすることも出来ない」と説明した。大嫌いな注射の時はいつもキャンディを握らせてくれた老医の笑顔を「国」が消してしまったわけである。
次は8才の時。日本人学校に通学途中、朝鮮系の学校の子供たちから石を投げつけられて頭に瘤が出来てしまった。「私は何もしてないのに何故、石をなげるの?」と誰彼かまわずに質問をあびせまくった結果、どうも昔、日本と言う国が朝鮮と言う国に何か悪いことをやったらしい、とわかった。自分が何をしていようがいまいが、国が何かをやらかしたら自分にしっぺ返しがやって来るらしい、と知った。次は10才。日ロ関係は最悪となり、スターリン政府の日本人排斥政策で在留日本人はスパイ扱いされ、買物も出来ず私たち子供の登下校にまで秘密警察の尾行がついた。追放同様にウラヂオストックをひきあげて日本に帰国したら、あっと言う間に日中戦争がはじまった。昭和12年、12才だった。そして私の帰国適応は、戦争遂行への軍国主義的マインドコントロールと、日本文化の中心をなす国粋主義的マインドコントロールとの混合カクテルを全身にあびせられながら、はじまったのである。当時は世界的に「おらが国だけが正義」と言うひとりよがりの国と民が多かったから、あちこちでマインドコントロールの花盛りだった。何も日本とかオームとかの専売ではなかったのである。日本になじむのに必死だった1、2年がすぎ15才16才をすぎ、パールハーバー開戦から南アジア全域攻略の頃には体中にハテナ?のマークがはりついてはなれなくなった。
「天皇は神だ」と言われても「神国日本は絶対負けない」ときかされても、さっぱりわからない。どっちをみても「疑うべからず。信ずるべし」と叩きこまれたが、ハイと頷けなかったわけは、私が既にウラヂオストックで似たようなマインドコントロールを受けていたからではなかったろうか?
日本人学校で週に一度やって来たロシア語のクラスの先生は、共産党のガチガチロシア人だった。授業内容はロシア語と共に共産主義思想教育そのもので、いかにその思想が偉大かと言うことや、一人は万人のために、万人は一人のためにナンタラカンタラと彼は情熱を傾けて私たちに叩きこんだ。しかし、私が実際に知っているロシア人たちの暮らしでは共産主義のナンタラカンタラはあんまり幸せに役立っていなかった。だからハイ、とは納得出来なかった。オトナが妙に真剣になって喋り出すと自動的にうさんくさいと感じるのが子供の頃からの私のくせだった。このくせのおかげで戦争中の、「何が何でも国のため、天皇のために戦い、死んでこそ立派な日本人」的スローガンやマインドコントロールにひっかからなかった。
日本の敗戦、占領時代から花咲いたアメリカ的民主主義的風潮にものりきれず、1956年から暮らしたアメリカでも、「アメリカ、パラダイス!」と言う感覚には距離があった。何しろ当時のアメリカは人種差別や黒人の人権問題、ベトナム反戦運動、政治家の暗殺事件等々の激動期だったから、正直、「フン、これがパラダイスかよ!」と考えた。
大体地球上、どこの国も「人間」を生きているとみとめない所から国ってものを作っているのではないかなァ。