私情つうしん 第4号 1995年12月発行
OとFとの往復書簡
この欄は、大山智子(O)と古家淳(F)の間の往復書簡という形の連載です。二人とも帰国子女、世代は違っても月刊「海外子女教育」誌などを舞台に帰国子女教育、国際理解教育などを中心にした問題意識のなかで文章を書く仕事をしています。
折々にもった疑問を互いに問い、互いに答えていくなかで自分たちの考えを深めていくことができればと思っています。
飛び入り参加も歓迎しますので、どなたでも気軽に割り込んできてくれたらうれしいと思います。
「大学」という場は……?
第4信−−OよりFへ
大学生活もそろそろ終盤戦です。今は、卒業論文を相手に部屋で戦いを繰り広げる毎日です。五年も大学に足を運んでキャリアが長いくせに、未だに青二才のシッポをひきずる私の友人たちの間では、「大学で成長したと思う?」というのがちょっとした合い言葉のようになっています。卒業論文などを抱えて煮詰まっていると、考えなくてもいいようなことばかりを考えて内省的なモードになっていくものです(笑)。で、果たして私は成長したか……。まあそんな話しはゆっくり泡盛でも飲みながら語り合いましょう(沖縄料理は実に美味しい)。
ところで、私は「まだ、学生なんです」というフレーズが嫌いです。言うのも、言われるのも。といっても、私は学生風情なんかではなくてヒトカドの者なのだとか、学生の地位向上運動をしなければとかいう主張をしたいわけではありません。ただ学生というのは、本来、大学という場で勉強をしている人のことをいうのであって、それに「まだ」とか「いやあ、社会経験のないヒヨッコでして」みたいな意味がくっつけられるのは心外だ、という気持ちがこのフレーズを聞くたびにするのです。
この間、通訳を生業としている女性に会いました。「何をしていらっしゃるのですか」という初対面の会話に、三〇代も後半だろうと思われるその女性は「通訳やってお金を稼いでて、大学でコミュニケーションの勉強やってる学生なの」と答えました。通訳というフィールドのプロフェッショナルであり、また、その仕事の中で勉強したいことが生まれたから大学でそれを学ぶ。確かに学んでいる立場にいる、という点ではその分野の中では「まだ、学生」であります。でも、この女性をつかまえて「まだ、学生さんなんですよ」と紹介する人はいないに違いありません。あるいは、この人の通訳の仕事を「学生さんのアルバイト」という人もいないに違いありません。
「まだ、学生」というフレーズの裏には、「高校を卒業し、何らかの形で学校に所属する、社会体験のない若者」といったにおいがあります。実際に、大学に通う人のほとんどは高校を卒業した後のステップとして大学に進学してきた人です。社会の中で働くという点では未体験で、年齢的にも18歳から22歳を中心とした層です。でも、それでも! 大学という場所が、高校卒業から就職するまでの若者が過ごす何年間かの場所として扱われるのはつまらないことだと思います。
最近、いくつかの大学の入試課の人に会う機会がありました。そしてどの大学も「キャンパスに多様な学生を」と話すのです。社会人学生を受け入れることもそのひとつだと言います。社会人に限らず、「多様な学生」がキャンパスにいることはいいことだと私は信じています。たとえばいわゆる社会人学生が増えることによって、大学という場が、同年代の若者が集まってエアポケットのような時間を過ごす場所であることをやめるだろうし、仕事を中断してあえて大学で学ぼうとする人がいることによって、大学が学ぶ場であること、そして学ぶことはいつでも必要なときにやることだということ(つまり学生であることの本質は年齢ではない)が、より明確にされると思います。少なくとも、入学したての1年生が出身高校と出身予備校と模擬試験の点数の話題で盛り上がり、3年生の終わりごろからは新卒のための就職の話題で埋め尽くされるようなことはなくなるかもしれません。
つらつらと書きました。お返事をいただくころは、晴れて卒論を出していることでしょう(Hopefully)。今年は卒業しなくちゃ。今でさえ「オマエ、まだ、学生やってんのかよッ。何年目だよ。まったく」と言われているくらいですからね。
(O)
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