私情つうしん 第4号 1995年12月発行
定本:内国子女教育の歴史
第2章 ヤポネシア・ランド(承前)
§2 テーマパークの隆盛
文・古家 淳
連載の前の回は?
ところで、ユーミン自身がもっとも喜んだエンターテインメントと言えば、テーマパークである。メディアからアクセスできる音楽や美術などに飽き、ギアに身を固めてさまざまな感覚を体験するバーチャルリアリティにも飽きた人々は、結局、究極のバーチャルリアリティとも言える、テーマパークでの全身体験に新鮮さを発見した。アフリカにはかつて伊豆にあったようなサファリパークが再現され、ニューヨークにはコンクリートジャングルがオープンされ、またありとあらゆるキャラクターを主人公としたそれぞれのテーマパークが作られた。鉄腕アトムも、鉄人28号も、トッポジージョも宇宙家族ロビンソンも、それぞれの着ぐるみが作られ、テーマパークの地面を闊歩した。
各地で盛り上がった民族主義も、テーマパークという意匠には巻き込まれた。ユーゴスラビアでは、それがもっともうまくいったとされた。セルビア人も、クロアチア人も、それぞれのもっとも純粋な形での民族の伝統をそれぞれのテーマパークとして公開し、そのことによって一時火を吹いていた武力闘争が静まったのである。
ところが、これまた勤勉な日本人ユーミンフーミン達にかかると、あっという間に飽和する。ユーゴスラビアは例外的に地元住民がつくったテーマパークであったが、ほかのところ、すなわち武力闘争に巻き込まれるおそれのない地域ではほとんどのテーマパークが日本人の手によって設立され、運営されていたのである。キューバにおけるカストロパークも、サンクトペテルブルクにオープンしたレニングラード村も、中身は日本人がつくったものであった。しかし民族の伝統を売り物にすればするほど、ニセモノであることが露呈し、アンチ日本人感情を醸成するばかりであった。
だんだん、世界はユーミンフーミンの日本人にとって、住みにくい場所となってきた。民族主義は皮肉にも、若い、海外で生まれ育ったユーミン二世達にも影響を及ぼし、今だ見ぬ自分達の故地日本列島への憧れをもたらすようにもなった。市場は飽和し、新しいネタも使い果たし、しかもアンチ日本人の感情が膨らんでいった。
振り返ると、そこはふるさと。結局、日本人は世界を使い果たしたのである。そしてふと我に返ってみると、そこに日本があった。自分達がかつて捨て、その結果手付かずの未開地として残っていたのは、日本列島だった。なにしろ、日本の大地のほとんどは、数年も放置すればあっという間に野草が生えてくる。コンクリートで覆われたかつての大都市では、毎月のように掘り返しては埋め戻さなくてはならないほど、雑草の勢いの強いところである。かつてはあまり気がつく者もいなかったが、実は日本列島というのはほっておくだけで緑にうずもれる豊かな土壌が最大の天然資源であったのだ。そこには、かつての大戦争を覆い隠すかのように原生林が生い茂り、素朴な農民がわずかに住むばかりとなっていた。世界最大の野生の天国にはまた、天皇家が保存してきた純粋な民族文化も残されていた。いつもながらの、青い鳥伝説である。
次回、日本全土にヤポネシアランドが開園する!
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