私情つうしん 第4号 1995年12月発行

巻頭言

 先ごろ、私の友人(彼女はキコク)が結婚した。ご主人は日本生まれの日本育ち、おまけに大学では日本文学をこよなく愛した筋金入りの純ジャパ。さぞかしカルチャーギャップに悩んだことでしょうと彼女にお悔やみ申し上げると、「いい意味で驚かされたことがたくさんあったわ」とニッコリ。話を聞けば、彼女が「しつけた」わけでもないのに、何をするにもレディーファースト精神みなぎる紳士ぶりを発揮するんだとか。「釣った魚にエサはやらない」とばかりに結婚後は本性が現れて、グータラ亭主に豹変したんじゃないのとつっ込んでも、彼の甲斐甲斐しさは続いていると目を細める。
 これは極端な例だけど、人に対する優しさは恋愛感情をヌキにしても持っていたいもの。11月27日、新潟県上越市で起きた痛ましい事件でも、それを切に感じさせられた。いじめをした子どもたちに罪の意識は希薄で、親や教師も彼が受けていた行為に最後まで気づかなかったという。人に対する思いやりの欠如、心の痛みに対する無神経さは究極まで行かなければ気づかないのだろうか。
 帰国子女が日本の学校に新風を吹き込み、社会の中で国際理解教育、異文化理解教育などの重要性を認識し実践する動きが出てきたことはもちろん評価したいけれど、それ以前にもっと根本的な「何か」の教育をしなければ、いじめのような卑劣な行為を絶つことはできないだろう。
 「優しさのかけら」は、どんな人の心にも存在しているはず。それに輝きを与える教育とは何なのかを模索していくことは、人として生きていく私たち全員に課せられた義務だと思う。

by 森田美樹