私情つうしん 第4号 1995年12月発行
カラオケとイジメ
韓国で教わったこと
by 地曵裕子(じびきひろこ)
春も終わりかけた頃、私は初めて、韓国へ旅をした。2時間弱のフライト。時差なし。
今まで遠い国との往復ばかりに慣れていたので、金浦空港に立って、こんな短い時間で外国に来られたということに感動さえ覚えた。
一時期、都内の日本語学校に勤めた。そこで担任した学生の一人のSさんの誘いで実現した、一週間の旅。
ソウルに迎えに来たSさんと、高速バスでハイウェイを南へ下る。彼の大学のある蔚山(ウルサン)市まで5時間−−のつもりが渋滞で8時間半。腰と背中の痛みと痺れに耐えながら、私は初めての土地に心を踊らせていた。
蔚山ではSさんの大学の友人二人が私達を待つ。OさんとIさん。Oさんは運転手でIさんはガイドという触れ込みだった。一人旅のつもりが、次第に修学旅行の趣きを呈して来る。半島南端の交通事情を考え、車をレンタルした一行は、釜山(プサン)、慶州(キョンジュ)等、国の南部を細かく動き回った。
慶州は奈良の都を彷彿とさせる美しい古都で、日本文化のルーツを辿る上でも興味深い土地だ。宿は飛び込みで見つけた。一部屋一晩で約2000円。安く清潔な韓国式旅館だった。
その夜、夕食のあとに私達は町へ繰り出し、カラオケボックスへ行った。
私は観客に回り、演歌の得意なIさんを中心に、大いに盛り上がり始めた時、それまで笑顔を振りまいていたOさんが唐突に、真面目な顔で言った。
「日本の学校には、何で、自殺するほどひどいイジメがあるんですか?」
Oさんは教会の牧師の父親を持つ。優しい穏やかな青年だった。
私達四人の意志の疎通は、Sさんの流暢な日本語に、英語を混じえて図られていた。
熱唱していたIさんも、歌を止めて身を乗り出す。私は思わず息を整えた。Iさんの祖父は大戦下、日本兵に殺害されたと言う。シャイな中にも毅然として、今まで日本人は嫌いだったと言ったIさんだが、一緒に動くうちに心が近付いて来た。私の中に過去の歴史についての準備はあったが、イジメに関しては無防備だったかもしれない。
「え? なんで……日本のイジメのこと、知ってるの?」
私はひどくピントのずれた答えをした。
留学で休学をしたので、他の二人より年上のSさんが口を鋏む。
「韓国人はみんな、知ってますよ」
私はそこで初めて、韓国のマスコミが日本のイジメに強い関心を持っていることを知った。三人の真剣な瞳が私を待つ。
「イジメは韓国にもあるんでしょ?」
考えがまとまらないまま、私は言った。
「ありますよ。でも、日本みたいに陰湿じゃない。イジめられて自殺するなんて、僕には考えられない」
私はなおも食い下がった。
「でも、韓国のマスコミが日本見たいに騒がないだけで、似たことはあるんじゃない?」
この後、時間を置かず、私は彼らの日本のイジメに対する正確な知識と真剣な思いに捻じ伏せられることになる。
帰国子女として日本の中学に入った私の長男は、級友のイジメに合うことはなかったが、教師からイジメに近い扱いを受けたことがある。
イジメは私にとっても関心のある問題だった。原因がどこにあるかという研究は、日本国内でも一応、続けられている。
イジメはあってはならない。しかし、ひどいイジメが何故、韓国ではなく日本に多いかという問題の説明が、私にはできなかった。
私は観念して、彼らに教えを願った。
「教えて。何で日本にはイジメがあるの? どうしたら無くなると思う?」
三人の若者は口々に語り始めた。
「日本の学校はね。みんな一列に並べて同じ教育をしたがるでしょ」
「そうそう。人間は本来、闘争本能があって、一歩でも人より前に出たいって思うものなのに、無理に同じ線で押さえつけるの、いけないんですよ。ストレスが溜まるでしょ」
−−韓国はどうなの?
「韓国の先生は、一人一人にまず、『一番になれ』って教えます」
「一番は、勉強だけじゃありません。駆け足だって。クラスで一番、豪華な弁当持って来たって」
「人間って、みんな同じじゃないでしょ。頭の良い子も、力持ちの子もいる。その中で威張ったり、頭、下げたりしながら、生き方を勉強するんです」
「最近の日本人って個人主義の傾向が強いですから、つながりができないんですよ。韓国人はもっと、家族や友達の関係、大切にします」「韓国じゃ、一つの器にみんなが自分のスプーンを突っ込んで、同じスープを直接、飲む。そんな食事から心のつながりって生まれるんじゃないのかな」
−−同じスタイルは中国にもあるわ。これを日本で、どう生かしたらいい?
「弁当の交換日を週に一日、作るってのは? 質素や豪家や、色んなのがある方がいい。食の共有が大切なんです」
「あとは、授業で、何か先にできた子に特典を与えるとかね。ペットを飼うのもいい」
歌を忘れた彼らの議論は、尽きることがなかった。日本人にはもっと、もたれ合いの精神が必要だと主張するSさんを見て、私は、日本に連絡するために外の公衆電話を使った夜のことを思い出した。
そこにはコイン用とカード用の電話ボックスが並んでいた。私はカードを持っていない。空いているカード用の電話機を横目に、コイン用の前で順番を待つ。ボックスの中では20歳前後の女性が弾んだ様子で話をしていた。
すると突然、外で待っていた連れらしい二人組の女性が、私に付き添っていたSさんに話し掛けてテレホンカードを渡した。
Sさんはそれを持って、空いているボックスへ向かう。
「何? どうしたの?」
俄か仕立ての韓国語では、理解できない。
「あの人、友達が長話しで悪いから、このカードを使って話しなさいって」
「知ってる人?」
「いや、知らない人」
私はお陰で日本の家族と話ができた。コレクトコールだったので、カードの度数も減らさないで済んだ。終わっても、まだ待っていたその女性にカードを返しながら、Sさんは楽しそうにことばを交わした。
私はまた、聞いた。
「何? 何て言ってた?」
「僕が、度数は減ってないよって言ったんです。そしたら『あら、良かった』って、笑ってました」
あの人達はカードを貸した時、料金のことは考えていなかったような気がする。
日本とは違う世界が、そこにはあった。