私情つうしん 第3号 1995年10月発行

応援席


私情つうしん へのメッセージ

by 中釜洋子
by 高索佳子
by 津田 正
by 宮本美智子
by 木本吉信


あなたも『私情つうしん』にメッセージをお寄せください。

中釜洋子

 91年に(主観的には)自分のものは全て捨てて、しばらく留学をするという夫についてアメリカで暮らして4年。経済的にこれが限界、という所で帰国しました。息子達は当年11才と7才。日本語よりははるかに英語が得意な、アメリカ人のお友達にまざれば節度をわきまえた比較的礼儀正しい少年ですが、日本人集団に入ればどうもしっくりこないものを抱えてしまうone of 帰国子女です。
 帰国子女と言っても滞在年月、年齢から、その家庭のくらしぶりまで、本当に千差万別ですね。我が息子達も(特にに下の子どもは)小さい時の体験ですから、いずれは記憶も薄れ、日本の社会になじんでゆくのかも知れないとも思います。ただ、そのベースは完全日本人の私たちでさえ、日本に戻ってきたことでこんなに大きな空虚感を感じるのだから、多感な中学生、高校生、いやいや小学生だって、有無を言わさないcut-off の体験は、どんなに暴力的なものだろうと思います。

筆者に手紙を出す
お手紙は編集部にも送られます
このページのトップへ


高索佳子

 私はあまり自分が帰国子女だと意識したことがありませんが(と言うより、意識させられたことがない)、不運にも外国で暮らしたことのある人間を受けいれることのできない世界に生きている帰国子女にとっては、意見が自由に言えない、理解してくれないなど帰国子女の悲劇を体験している人がいると思います。でも大山さんの言うとおり私はいつでもどこでも私なんだ! と自分を見失わないよう(これは、帰国子女に限らず)道を進んで行くことが大切なんだと思います。帰国子女というブランドを身につけて生きてゆくのも良し、社会が勝手にイメージしている「帰国子女」のように振る舞うのも良し、とにかくハッピーに生きてゆくことが大切ではないのでしょうか。

このページのトップへ


津田 正

 残暑厳しき折、いかがお過ごしですか。『私情つうしん』第2号、お送りいただきありがとうございました。返事が遅くなりました。
 今月、一番心をひかれたのは、中沢さんのです。異文化というものの「定型」をなるべく拒否して、個別性というのか、個人と個人のコミュニケーションから考えるというのか、そういう姿勢が感じられました。
 萩原SUSAN陽子さんの記事もインパクトがありました。文章に充満するパワーを感じます。(あの文章は、パワーが充満する、としか形容できない)。とにかく面白いことは間違いありません。でも、読んでいて、ちょっと辛い気持ちになったことは事実です。
 「定本:内国子女教育の歴史」を読んで、これは帰国子女版「カノッサの屈辱」だと思いました。それにしても、文章もさることながら、挿絵が抜群に素晴らしい! 実にばかっぽくて、見事、見事。
 大山さんの文章はいつ読んでもうまいですね。何と言うのかなあ、根っから文章を書くのに向いている、そんな感じがします。(編集部注:「世界観を変えた額縁屋」「OとFとの往復書簡」
 今回の手紙はこれだけです。繰り返しますが、暑いです。とにかく暑いです。秋の気配を感じはするものの、秋きたりなば夏遠からじ、という感じで、夏がいつまでも追いかけて来るような錯覚にさえ陥っています。夏はとにかく苦手。秋よ早く来い!

このページのトップへ


宮本美智子

 私情つうしん、しっかりと読ませていただきました。理由? アメリカで生まれ育った娘を持つ、 やはり2つの文化を生きてきた日本人の私だからです。
 物を書くときいつもとまどうのは、母国語のもんだい、です。リービ英雄さんのstep-mother-tongueという表現に感心しました。
 娘はアメリカの大学院に戻りましたが、水を得た魚のように過ごし、今は日本をなつかしく思っているようです。

このページのトップへ


木本吉信

 「帰国子女」と呼ばれていた頃からかれこれ 15 年以上経ち、そうであったことを意識することもほとんどない今日この頃ですが、これも「大衆に埋没する」という適応をしたからでしょうか。
 とはいえ,完全に埋没したわけでもなく、個人差という範囲内(どこまでが「個人差の範囲」なのかは問題でしょうが)で、「違い」を強調する場合もあります。場合によっては、対峙する相手の許容量を見極め、その許容量ぎりぎりで「違い」を明確にして、相手の許容量の拡大に努めることもあります。
 埋没することを選ぶか、「違い」を明確にするかの判断は、結局そのときの気分やノリで決まります。
環境に積極的に働きかけるわけでもないのですが、逃げるわけでもない。
自分と環境との間でフィルタリングをしているとでもいうのでしょうか。
誰でも生きてゆく上で同じプロセスを行っているのではないでしょうか。

筆者に手紙を出す
お手紙は編集部にも送られます
このページのトップへ