私情つうしん 第3号 1995年10月発行
OとFとの往復書簡
この欄は、大山智子(O)と古家淳(F)の間の往復書簡という形の連載です。二人とも帰国子女、世代は違っても月刊「海外子女教育」誌などを舞台に帰国子女教育、国際理解教育などを中心にした問題意識のなかで文章を書く仕事をしています。
折々にもった疑問を互いに問い、互いに答えていくなかで自分たちの考えを深めていくことができればと思っています。
飛び入り参加も歓迎しますので、どなたでも気軽に割り込んできてくれたらうれしいと思います。
「帰国子女」であった僕から
第3信−−FよりOへ
かつて、『変ジャパ宣言』という文章を書いた記憶があります。自分のアイデンティティを、日本人でも外国人でもなく、「変なジャパニーズ」と位置づけたものです。それは、自分で自分を「帰国子女」というレッテルに委ね、そう宣言することによって逆に自分自身を取り戻していく決意を、自らに明らかにする文章でした。
それから何年かたって、僕は『I am Plural, and I am Singular』という文章を書きました。ここで僕は、「日本人か否か」という問で始まるアイデンティティ捜しが、最終的には「自分とは何者であるか」という問で終わること、そして「自分らしさ、あなたらしさ」以外のらしさを認めたくないと述べました。自分の中には幸か不幸か複数の文化があり、そのことを含めて自分がこの世にただ一人の存在であるとうたいあげました。
そして今、あなたは「いつでもどこでもただのオーヤマなのさ」と書いてくれました。「私は内面的に『帰国』子女になろうとすることをやめました」とも。
僕は、「帰国子女」です。そう規定して、生きてきました。
それはたとえば学歴のようなものでしょうか。どこの学校に学び、どこを卒業したという経歴も記憶も、一生消えるようなものではありません。それと同じように、海外で生活した経歴も、(そしてここが重要なポイント、あなたと僕との大きな違いだと思うのですが)帰国して自分が「帰国子女」と呼ばれた記憶もきっと一生消えるようなものではないでしょう。「帰国子女」は、あらゆる意味で日本国内でつくられてきたのです。
「帰国子女」というコトバは、ただ海外滞在歴を示すだけではなく、なんらかのスタンダードから見て「変」であると言われてしまう存在の名でした。それゆえにこそ、そう言っている人自体が「変」なのだと言い続けてきました。違うならば、違うままでいよう。それに人が「帰国子女」という名前をつけるなら、その名前に意味を与えるのは自分でしよう。それを「変」だとは、言わせない。
その結果、僕にとっては僕自身の内面を問うことがそのまま「帰国子女」を問うことになってきていたように思います。
今、あなたの「オーヤマはオーヤマである」宣言を目にして、僕は僕の生き方が間違っていなかったことを確信しています。あなたにとって、「帰国子女」であることは、もはやどこまでも「変」ではないのです。だからこそあなたは、「帰国子女であること」を飛び越えて、あなた自身の内面を問う作業に、「オーヤマ」という名前を与えることができるのですよね。
それと同時に、僕は自分の生き方があなたによって克服されてしまったという、一抹のさびしさも感じています。複数の文化が自分の中にあることを、ほかならぬこの「日本」という国が認めないことによって、「母国」から「オマエは帰国子女よ」と言われた僕にとっては、そのことにこだわるほかはなかったようです。
しかしあなたは実に軽々と「母国の心、子知らず」と喝破します。問題の「母国」がどこにあれ、またどうであれ、あなたはあなたのままでいられると知りました。その大きさを、僕はうらやましく思います。憧れます。
今回は、とうとうあなたに質問を出すことができないまま、このおたよりを終わることにします。そろそろ「帰国子女」というコトバを使わないで何かを考えたいとは思うのですが、何かおもしろいテーマがあったら、ぜひ教えてください。
(F)
筆者に手紙を出す