私情つうしん 第3号 1995年10月発行

世界観を変えた映画『毎日が夏休み』

by 大山智子

「なんや、おったんか。今日ビデオ観たねんけど、きっとコレ、オーヤマが面白がるやろと思ってな、電話したん」。
 そういってNが電話をかけてきたのは、平日の夕方だった。大学院で言語学を学ぶNは、ぐうたらで思いつきをぶちかますばかりの私とは違って、勤勉な理性の王者であった。そして、アイドルチェックの厳しさとプロレス狂という点を除けば、いつも私の独りよがりな「直観」に学問的理論づけをしては、混沌とした思考に鎮静作用をもたらしてくれる偉大な友人なのだった。
 そのNが勧める映画である。観なければならない。その日のうちに駅前のビデオ店へ行き、さっそくブツを入手してきた。
『毎日が夏休み』というその映画は、大島弓子のマンガを金子修介が映像化し、ちょうど一年前の夏に公開されていたものだ。登場するのは、郊外の静かな住宅地に居を構える平和な一家族。ところが、女子校に通う中学生のムスメはイジメによる登校拒否を親に隠して毎日学校へは行かず、勝手に「夏休み」している。そして、オトーサンもまた、誰もが羨む超エリートサラリーマンの道を自ら降りてしまう。毎朝、何事もないかのようにオカーサンの作った弁当を持って二人は家を出るのだが、ある日、互いに公園で早弁をしているところに偶然出くわしてしまう。登校拒否と失業が明らかになった二人は考えた末、「なんでも屋」を開業することを決意する。しかし、エリートの夫、名門女子校に通う賢い娘を信じてよりどころにしてきたオカーサンがそれを許すはずもない。そして、そこから始まる珍騒動……。
 黄色がかった映像や淡々とした主人公の女の子のモノローグは、いかにも少女マンガチックな雰囲気を醸し出している。佐野史郎が演じる、キレ者すぎて変人なオトーサンも私好みだ。中学生でありながら、学校という世界の外で「なんでも屋」などという得体の知れない活動をするのもスリリングこの上ない。けれど、Nがこの映画を勧めた理由は他にあった。
 いつだったか、私は「家族っていうのは経済用語じゃないか」とNに話したことがあった。家族は水よりも濃い血縁と愛情の人間関係ではなく、あくまでも経済にのっとって運営される経済ユニットなのだ、と。それをNは覚えていたのだろう。「なんでも屋」を開業したこの親子は、オトーサン、ムスメの関係から「社長」、「副社長」と呼び合う関係になる。オカーサンは「監査」である。そして、図ったかのようにこのオトーサンとムスメには血縁関係がない。つまりステップファーザーでありステップドーターなのだ。家族という団体が、ここでは、血縁ではなく会社という形態を模しつつ見事に経済活動ユニットになっている。いわゆる夫婦ゲンカをもとに家族の調子が悪くなった時、ムスメはつぶやく。「我が家は、最低の経営困難に陥った」。また、「社長」と「副社長」が親子ゲンカをする時、オトーサンは言うのだ。「クビだっ!」と。一体、何がクビになるのか。「副社長」か、それともこの男のムスメであることか。そして家族の経営状況が更に悪化した時、家族は「倒産」するのか。
 観終わった後、再びNと話すためにダイヤルした。
「どうや、面白かったろ」
「うん。ところでさ、私、最近ドでかいプロジェクトを立ち上げてんの。名づけて『子づくりプロジェクト』。すごいでしょ。調査、計画、実行とあって今は調査段階なんだ。何故、子をつくるのかとか、子を産むという選択をすることによって何を求めてるのかとか、子ができることによって必要、あるいは可能な経済ユニットの組み立てかたとか」
「それって、結局、家族社会学やで。きっとマルフェミの本とか読むといいと思うで」
「何? マルフェミって」
「マルクス主義フェミニズムのことやがな。で、ラジフェミはラジカルフェミニズム。まあ、どうでもいいけど、あんまり『子づくり』とか言わんほうがいいで。勘違いする男がいるかもしれんから」


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