私情つうしん 第3号 1995年10月発行

定本:内国子女教育の歴史

第2章 ヤポネシア・ランド

§1 ユーミン産業の飽和

文・古家 淳


連載の前の回は?


 50年が経った。この際、どこの時点から数えて半世紀などと野暮は言うまい。ともかく、50年経ったのだ。この間の世界の変化は、例によって加速度的に大きくなった。人間、歳をとると月日の過ぎるのが早いなどと言うが、人類だってそうなのだ。「光陰矢の如し」などと言い出したら、少年に限らず「老い易い」のだから、そろそろ墓の準備をしたほうがいい。
 閑話休題。世界を股にかけて活躍するようになった、ユーミンフーミンの日本民族だが、メディアの発達とともに巨大な娯楽産業となったエンターテインメントには、自ら破滅要因が内包されていた。
 まず政治文化的な要因だが、あまりにも独占的なメディア、エンターテインメント支配をほしいままにした日本人には、世界中から文化侵略の批判が高まった。何しろ、適応力(模倣力)においては中国古代王朝に学んだ奈良時代から定評のある日本人である。世界各地でその土地の伝統文化を取り入れ、それを巧みに加工して世界マーケットに売り出してしまった。純粋なと呼べるような民族的な音楽も、演劇も、舞踏も舞踊も何もかも、あっという間に地球上から姿を消してしまった。すべてがデジタル化され、メディア化され、そして商品化され尽くしてしまった。当然ながら、各地に復古運動が盛り上がる。自分達の芸術は自分達で守れと、民族主義の嵐が巻き起こった。排斥されるのは、当然ながらもともとヨソモノだった日本人である。日本人によるエンターテインメントを享受する人々さえも、「民族浄化運動」の旗の下では根絶やしにされるところもあった。
 また、コンピュータ技術を基盤に取り込んで発達したメディア産業は、すなわち多チャンネルの罠を持っていた。人々の多様な欲求に応えるためには選択肢を増やすしかないと、どんどん多チャンネル化が進められたが、一人の人間がエンターテインメントを求めてメディアに接している時間は限りがある。最大でも、一日24時間には満たない。地球上すべての人々にこうした技術の恩恵が行き渡るようになると、あとは飽和するばかりである。いくら大勢の人が、いくら長時間モニターの前に座っていたとしても、一つのチャンネル当りで見ると、そのチャンネルにアクセスし、見聞きしている人間の数はチャンネルの総数に反比例する。つまり一つの番組またはコンテンツ当りの広告(宣伝)効果も、またそれにかけられるコストも下がっていく。メディアテクノロジーの発展により、誰でもがコンテンツを提供できるようになったことも、プロフェショナルとしてのユーミンにとってはマイナスに働いた。
 もう一つは、エンターテインメントそのもの、あるいはコンテンツそのものの問題である。先述したように、日本人ユーミン達は世界中の伝統芸能を消費した。しかしメディアはいずれにしろ目新しいものを常に要求する。今まで聞いたことのないもの、見たことがないもの、を捜し求めても、もはやそう簡単には見つからなくなっていた。

次回、いよいよヤポネシアランドの秘密が明かされる


筆者に手紙を出す