logo 私情つうしん 第24号 2002年7月発行

ペキンスカヤの中庭で

by 中津燎子

連載の前の回

 このむし暑い最中に、何の因果か、私は家の中の荷物を整理するのに汗だくである。

 若い時から私は何の迷いもなくすぐにひらひらとひっこす癖があって、特に9年間の在米中、7回ひっこして友人たちを呆れさせた。そんな癖の持主として、荷物は極力、棄てる主義を貫いていたのだが、人間と言うのは年をとるといつのまにやら物を棄てなくなる、と言う言いつたえの通りに76才を迎えてみたら、荷物の山の中にいた。

 気がついたきっかけは私の心臓発作である。1年半の間に4回も発作をくり返したので、さすがのんきな私も「葬式」について考えはじめた。以前から夫が主張していた、「葬式なんかいらん。墓もいらん。坊主もお寺もいらん」と言うらんらんずくしに私も同調することで話は決まったが、子供たちはまだ何やら釈然としない様子である。
「ねぇ この山のような荷物はどうしてほしいの?」
ときく。きかれて私は困った。
 何が入っているのかがさっぱり記憶にないのである。なかみがわからないから、全部棄ててもいいとも言えず、棄てるなとも言えない。子供たちは長い間さわりもしなかった荷物は不用品に決まっているのだから廃棄処分が妥当ではないか、と言う。すったもんだの末、私の
「棄てる前になかみをチェックする!!」
と言う主張が通って、その結果私は毎日古い荷物を点検し、もえるゴミともえないゴミ、子供たちにのこしたいものと友人にゆづりたいもの、そして私の棺に入れてもらいたいものを5種類、えらび出すのに汗まみれと言うありさまである。ヤレヤレ。

 しかし古い荷物と言うのはあける度に何やらフシギなものが出てくる。子供たちが幼児の頃から小学生までこよなく愛したぬいぐるみの動物たちが古いスーツケースからぞろぞろ出て来て驚いたが、その横の大きなダンボール箱からはどどっとばかりに古い手紙の束があふれ出た。よくみると、これは私が『何で英語やるの?』(文春文庫)と言う本で大宅ノンフィクション賞を戴いた時から2、3年の間に送られた読者の手紙であった。昭和49年から52年までの日付だ。手紙の内容は圧倒的に「何で英語やるの?」と言う疑問を中心にした本についての共鳴が大部分で、1/3位の手紙は逆に「何で?」と言う疑問への異和感と意見がのべられていた。

 当時、私は数多い「よくぞ言ってくれた」式の共鳴意見よりも「我々はまじめに熱心に英語を勉強して来たのに、何で英語やるの?とは無礼だ」という異和感表明派の方により強い興味を持った。受賞した翌年に大阪に移転して来て以降の25年間、英語の発音と異文化対応の訓練塾をつづけて来て、最近、閉塾したところであるが、今になって、訓練塾の出発点だった筈の手紙を眺めると、「よくぞ言ってくれた」派も「何で英語とは無礼だ」派も、みんな仲よくグレイ派だったなァと苦笑してしまった。現在、好評出版中の『漢字と日本人』(文春新書)の著者、高嶋俊男氏がその中でメッチャ面白いことをのべていらっしゃる。漢字は中国から渡来したものだが、ふつうの多くの日本人は実に熱心に漢字を学び、之をおぼえれば上等の人間になれると思いこんでいるわりに、中国で出来た文字や言葉、つまり外国語だと言う事実に無関心だった、と言うよりも何も考えていなかった、と言うのである。私が言う「グレイ派」は恐らく、高島氏の言う「何も考えずにひたすら漢字をおぼえた云々」のグループに所属し、漢字を英語にとり替えたのではないか。グレイ派は「英語とは日本と日本人にとって何か?」などと頭を絞ることは決してしないであろう。25年の塾活動で、常に「日本人」の自分自身にもどり、客観的に分析することの訓練から開始して、英語の世界の分析に入ってゆく作業を訓練しつづけて来た私としては、「ああ、そういうことだったのだなぁ」と心から納得している。現在、原稿に追われている私の最後の本でそのあたりをまとめて書いてみるつもりだが、心臓のごきげん次第である。


プロフィール
1925年福岡市に出生。3才で、日本領事館で通訳として勤務する父に連れられて旧ソ連領のウラヂオストック市に渡る。1936年、日本に帰国。戦後、1956年渡米。結婚し2児を連れて1965年帰国。以降、英語塾を開き、東京・大阪・九州で異文化対応と発音訓練を教えて現在に至る。