logo 私情つうしん 第24号 2002年7月発行

結婚後の『帰国子女』の今
キコクと「非」キコクの夫婦対話

by Chi-chan


[チ・ちゃんは夫と関係が悪いのか?]

 『私情つうしん』をきっかけに始まった[shijo-kansai]で知り合った仲間。その中で結婚を意識しだした「キコク」と話が盛り上がるのは、なぜか「夫さんにはどのように話をしてるのですか」という話。プライベートなことなので、なかなか聞きづらいのか、いつも帰りの道すがらでそういう疑問に出会うわけです。
 そこでのわたしの返事は時間がないもので、すごく素っ気なくなってしまい、ああ、申し訳ないなぁ、と帰りの電車の中で逡巡するわけで・・・
その素っ気ない返事とは・・・
「夫には話しても判らないから話さない」「話しても、『俺は「帰国子女」じゃないから関係ない』って言われるだけだから、理解してもらおうなんて気持ちはない」など。ああぁ。自分で読んでみても何て素っ気ない返事!これじゃまるで夫婦仲が悪いみたい!

 実はこれは正確な表現ではありません。本当のところは、ある日突然、わたしが一方的に「非」キコクの夫を質問責めにするわけです。たとえばつい先日も−−

チ・ちゃん「日本の風呂文化は『必然』か、『無駄』かどっちだと思う?」
夫「は?」

…てな調子です。これは背景を説明せねばなりませんでしょう。
 わたしは「『帰国子女』の片隅にいるまだ見ぬ友へ」の中でも明らかにしているように、ロス・アンジェルス、キャリフォーニアで3年間暮らしているものですから、どうも「風呂」というものが苦手なのです。夏場などは(京都の夏はハンパじゃないから!)夫は自ら風呂を毎日嬉々として沸かし、「ほら、入れ入れ」と子どもやわたしをせき立てるわけですが、わたしはいつものらりくらりとはぐらかして最後に入ろうと画策するのです。それが夫には理解不能らしく、
「何でそんなに風呂が嫌いなん?」
と怪訝そうにしているのです。
 わたしも温泉は年のせいか、少し好きになってきました。風呂が嫌い、というのでもないのですが、夫ほどは好き好き大好き、という感じもない。実は、わが家はマンションで、風呂がとても狭い!その狭い狭い狭い風呂に10歳と6歳の男児の集団で入るということが苦痛でたまらないわけです。
 それで、ある日ふとひとりで純日本式バスタブに肩まで座りながら、ハッと思ったわけです。いや、前々から薄々はどこかでそうは思っていたけれど、この瞬間にそうなんだっ!と思い当たったというべきでしょうか。

 そう、わたしはシャワーなら心情的には毎日でもオーケー(それも実際には毎日浴びないから、「ただの風呂嫌いやろう」という夫の疑惑は深まっているようですが)。でも純日本式バスタブのあの満々とたたえられた湯に集団で入るのがイヤなんだ。どうしても水がもったいないって思ってしまう。また集団での脱衣も苦痛。家族とはいえ、裸体を大ぴらに晒すことには抵抗がある(温泉でも密かに「わたしひとりだといいなぁ」など思いながら、脱衣場のスリッパに目が行くわけで)。それを無理に純日本式を夫から強制されるものだから、拒否してしまうのだ。ホテルなどでアメリカ式のバスタブに子どもや夫は辟易するけれど、わたしは「ああ、bubble bathにしたいなぁ」と思ったりしながら、気づいてみるとルンルンで鼻歌なぞ歌ってしまっているではないか!「三つ子の魂」とはげに恐ろしきものであったとは!

onsen  …冗談はさておき、そこでわたしの最初の疑問に帰るわけです。
「日本の風呂文化は『必然』か『無駄』か?」
 この質問には続きがあります。
 「たとえば砂漠地帯で日本の風呂文化を持っていくなら、それは明らかな『無駄』であり、単なる贅沢なわけでしょ?じゃあ、逆に海外で水が乏しいところで暮らした『キコク』やニューカマーが1週間に1〜2回しか入らない習慣だったとして、その子が日本に来て同じことをしたら、『臭い』『汚い』といって友人や教師に疎まれる実例があるけど、これは『必然』と言えるのか?」
 こういう、結構ディープな、難しげな質問に夫は誠心誠意答えてくれるわけで…。これで夫婦仲が悪いように取られたら夫には申し訳ない気がします。夫婦仲の良いところを証明するためにも、これに対する答えは夫自身に書いてもらうとしましょう。

[「非」キコク夫のお返事]

 この質問を受けたとき十数年前に留学中の友人の下宿を訪ねて韓国へいったことを思い出しました。夜になって当然のごとく風呂に入ろうと思ったのです。韓国に「銭湯」があるのを知ってましたから、そこにいこうとしたのです。夕食後すぐに友人に「どこにある」と聞くと、「あるけどもうしまってる」と言われました。そして、韓国では毎日風呂に入る習慣がないことを知って驚いたのです。

 日本はご承知のように大陸の東岸にあって温暖湿潤気候地帯にあり、特に夏は太平洋高気圧の強い影響下のもとモンスーンの影響を強くうけます。めちゃめちゃ湿気がおおい。一方、冬は北からのモンスーンで結構寒い。しかし、日本の場合どっちが重要な問題かというと夏の湿気だったようです。だから、日本家屋はふすまや障子をはずせば骨組みだけのような家なのです。だから、毎日汗をながすということは日本では必要な条件があると思われます。隣の朝鮮半島では大陸と北でつながっているということで、古くから厳しい冬の寒さをすごすためにオンドルという床暖房が発達しました。でも大きくは朝鮮半島も日本と同じ温暖湿潤気候でくくられているので、夏場はやっぱり毎日汗をかきます。しかしながら、上でのべたように毎日風呂をわかして入るという文化はありません。

 このように、同じような気候でありながら、日本と朝鮮半島では家屋の構造も風呂に対する考え方もちがいます。同じような環境ならこういう文化を持つべきとは必ずしも言えないと思います。したがって、日本に住んでいるんだから日本の風土にあわせた文化にしたがうべきだとも言えません。さらに言えば、日本で毎日風呂に入るという習慣もここ最近のことではないでしょうか?1950年代末生まれの私は小学校時代は銭湯にかよってました。当然毎日入りにいくことはなかったのです。内風呂の普及ということが背景になっています。「日本は湿気が多い風土なので、当然のごとく毎日内風呂に入る」という習慣は実はごくごく最近に成立した「文化」なのではないでしょうか。また、内風呂自体は近代の西洋風呂の影響じゃないかと思います。そういう「文化」を実践しない人々に対して「くさい、汚い」という言い方は「異質なものを排除する」というまたしてもおなじみの日本的排外主義にもとづくものであることは明らかです。要は、このような非難を投げかけている人の差別排外主義に問題の本質があると思います。ところが、このような日頃慣れ親しんだ習慣についてこのような疑問を投げかけられると反差別、人権擁護の観点で活動している人でも日本の気候風土の違いから説き起こす人もいるでしょう。異文化共存、共生という問題はこのような日常習慣の共存、理解というというレベルまで考えていかないとホンモノではないのかも知れません。