私情つうしん 第23号 2002年3月発行
by Chi-chan
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Q「帰国子女に対する排他性は日本独特の現象なのか、たとえばアメリカとかにはないのか」
A「個人的には知らないので、『私情つうしん』というインターネット・ホームページからの知識であるが、どうもアメリカなどでもあるらしい。が、日本の方が顕著であるだろうと個人的には類推する」
Q「帰国子女に替わるような適当な言葉は、考えておられると思うが特に英語で何かないのか」
A「帰国子女という言葉を用いるには、2つの側面がある。1つは同じ悩みを持つ人間が拠り所とするキーワード的要素であり、もうひとつは、外からひとつの枠にはめてレッテル張りをするための要素であるが、多くの帰国子女たちは、2番目の要素を強く感じるため、この言葉が好きという人はあまりいない。ただ、言葉をいくら捜しても、結局そこから外れてしまう存在が出てくるのが、この帰国子女にも言えることで、中には『何かに規定されて呼ばれたくない。わたしはわたし個人として見てほしい』という人もいるくらい。一応英語ではreturneeというようだが、これは『帰還兵』という意味にも使うので、今ひとつぴったりこない、ということで、『私情つうしん』には代替の言葉が載っていたが、まだまだ一般に通用しているとは言えない」
Q「いじめに遭ったのは、帰国子女であるが故のいじめではなく、京都という地域の特性ではないのか」
A「おそらく地域的なこともあるだろうが、宮智宗七氏の『帰国子女』の中でもちょうど意見が半々に分かれるところ。ただ、帰国子女はどうしても目立つ存在なので、いじめられるグループの中でも標的になりやすい要素を多様に持っている。質問者は京都の中の方言の違いによるいじめを受けたと言っておられるが、帰国子女の日本語も奇異にとられがち。わたし自身も帰国当初はNHK日本語であったし、従妹はワタシ、思ウンダケドネ、チ・チャン、というような、外国的な響きの日本語であった。感嘆詞を英語やドイツ語で言ったり、向こう風の所作が出ると、どうしても『変な人』ということになりがち。たしかに京都はその傾向が強いかもしれないが、帰国子女である、ということがわたしの受けたいじめに無関係であるとは考えにくい」
Q「わたしの知り合いで、『日本のことは知らんでよい、どうせ一家移住して将来この子はカナダに住むんだから』とカナダ文化のみを教えて日本文化を一切教えない人がいるが、将来誰でも『帰国子女』の親の立場に立つかもしれない、という観点からすると、このやり方をどう思うか」
A「親の立場として子どもに対してどちらか一方の文化のみを強調するのはいかが、という疑問は拭いきれない。欧米を良しとし、東南アジアなどの諸国の文化を劣視する向きも少なくないと思うが、どの文化にも良い面・悪い面があり、それぞれの文化を等価値のものとして見てほしい。特に親の立場であると、自分の中の偏見そのものと戦うことになるが、親こそその視点を持ってほしい」
Q「自分は学校で教えていて、人権に関わる校務分掌にいるのだが、なかなか生徒たちは実態を知らないので、『共生』という認識が育ちにくい。せっかく判ったと思っても、家庭に帰るとまた違うことを入れる存在がいるので、少しも先に進めない。どういう風にしたら良いのか途方に暮れている。何か良いアドバイスでもないですか」
A「わたしも同じことを常に感じているが、人権学習の効果が上がるのは、ずっと時間が経ってから、と思っておいた方がよい。(←これは実は、わたしが敬愛する某先生が言っておられた言葉からの引用)ただ、人権学習は当事者の話を聞くのが一番と思っている。京都の辛いところは、在日の教師がいないこと。大阪のように在日の教師が1人称で在日を語る、あるいはその存在だけでもうインパクトがある。その代わりといってはなんだが、我が校では、できるだけ新しい事例を使って、新井英一や金久美子(キム・クミジャ)、ハンディカムのCMなどを作っているク・スヨンなどが1人称で在日を語る様子を見せたりしている。講師を呼ぶという手もある。その辺の在日を引っ張ってきたら、十分講師になる。そういうことを通じて生徒たちは、今は判らなくても、後に『ああ、先生があの時言ったはったのは、このことか』と判る日が来ると信じてわたしは取り組んでいる」
「また、わたし自身が体験したアメリカでの記憶の中で、わたしの行っていたPreschoolの園長先生の言われたことが、とても印象に残っている。ある日、園長先生がスペイン語の先生をPreschoolに連れてこられて、次のように言われた。それも2歳から5歳の園児に向かって。『わたしたちは今日からスペイン語を学びます。なぜ学ぶか判りますか?それは、あなた方のまわりにスペイン語を話す人たちがいるからです。スペイン語でそういう人たちとお話しできたら楽しいと思いませんか?だからスペイン語を学ぶのですよ』この話をよく生徒にもするのだが、これはロサンゼルスでは、ごく身近にいたメキシコからの流入労働者を指していたのだ。これはすごいことで、日本でいえば『身近にいわゆるオーバーステイの労働者がいますよね。その人たちとお話しできたら楽しいでしょ』と言うに等しいことだ。今わたしは、三つ子の魂百まで、ではないが、こういう多民族の文化の無条件の受容こそが『共生』ということへのヒントだとこの時に学んだのではないか、と思っている」
(注:執筆当時は1999年、その後2000年に京都市立の小学校で1名、2001年に京都市立中学校で1名、本名での在日教師の採用がありました。現時点では養護教諭さんを含めて京都市には3名の在日教師がいます。在日コリアン生徒にとって、ライフモデルが教壇に立つという、すばらしいことが実現してきています。
ただ、高校には専任の在日コリアン教師は依然として採用されていません。京都市は高校に関しては市立が定時制を合わせても十数校、府立高校が二十校近く(定時制も含むともっと多い)ありますが、わたしの同僚に本名の在日コリアン教師はひとりもいません。高校現場にもひとりでも多くの採用が実現するともっとすばらしいと思います。)
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| photo by 大鹿真希 |
このような受け答えをした後、その日の講座は終わり、わたしは会場に入っていって、質問をしてくれた人たちを中心にもう少し話をしていました。その中に在日コリアンもおられて、またすっかり仲良くなってしまいました。
何よりも嬉しかったのは、その人が「在日とか帰国子女とか、というよりも人間的に似ていると感じた」と当日の感想を述べて下さったことです。わたしは「覚醒」の際に在日コリアンに助けてもらったのだし、わたしの話が逆にその人にいい意味で受け取ってもらえて、間接的ではあるものの、少し恩返しみたいなことできたんちゃう、と自己満足であると自覚しつつも思ったのです。
在日コリアンの生徒たちと多く関わり、さまざまな立場の在日コリアンの人たちの話を聞くにつけ、「違う」ということから始めよう、という、在日コリアンや帰国子女の多くの人たちが実感的に思うことが、なかなか純ジャパな人々には実感的に判らない、ということがわたしたち「異」文化体験者にとっての最大の難関ではないのか、ということです。
他の受講者の反応は「帰国子女がそんなに内面で悩んでるなんて思ってもみなかった」「今度うちに話に来てもらえるといいなあ」といったようなものでした。
ま、そんなことで、一応成功と言える形で終わったわけですが、話した後、正直言いますと、わたしはちょっと落ち込んでしまいました。
だって、公然と「わたしは帰国子女です」なんて言ってしまったのだから、いろんな意味でそれを引き受けなくちゃいけない責任も負ってしまったわけで、これからいろんなところで同じ話をする機会が増えるかもしれないけれど、その反応がいいものばかりとは限らないわけですからね。そういう意味で少し落ち込んでいました。
でも、帰国子女の話はまだまだ公然と語られることは珍しいと思いますし、誰も進んでカミング・アウトしたがらない社会的背景が日本にはまだまだあると思うのです。かなり勉強して、自分の体験が日本社会においてどのような意味を持つのか考え、自分と対峙して整理しないと人前で話なんてできませんものね。教師の立場から質問して下さった受講者にもこの「整理する」ということの意味を説明したのしたのですが、在日コリアンや帰国子女にとって「話ができる」ということは自分の中の整理がついて、何か一本筋が通る、ということなので、あまり最初に大きなところでどーんとやっちゃうと、リバウンドもどーんと来て、次に進めなくなるから、小出しにして、自分の周りからだんだんと広げていく作業が必要だと思うのです。かなり乱暴な言い方だなあ、と自覚しつつ「その辺の在日」とは言ったものの、結構実際には語れる人は限られており、小出しにする場を経験してないとなかなか大人数の人前で話せないものなんだ、ということをわたしは経験上感じています。
わたしの場合も、連載を読んでこられてお判りでしょうが、ここ『私情つうしん』にたどり着くにはかなりのステップが必要でした。「覚醒」してからの小出し度をまとめてみると、(1)人権意識が比較的高いと思われる教師の研究集会でのカミング・アウト(対象20名位)→(2)その直後の受け持ちクラス授業でのカミング・アウト(対象2クラス80名位)→(3)在日コリアン生徒との対話中でのカミング・アウト(個別対象に数え切れないほど)→(4)「新世紀エヴァンゲリオン」の帰国子女について話した日本人&在日コリアン生徒の前での体験話(対象10名位→さらに生徒がこれを広げたので、200名以上が対象?)→(5)日々の学校生活(授業・HR・クラブ活動・雑談)を通じての体験話(対象→年間平均約150〜200名位)→(6)公的な場所でのカミング・アウト→(7)講演を受けての体験話→(8)『私情つうしん』という、年数にして丸9年もの長い長い過程を経ています。
いまこの段階まで自分が至って思うことは、『五体不満足』を著した乙武洋匡さんが「ニュース23」のインタビューで言ってられた言葉、「つくづく障害者で良かったな、と思う」じゃないけど、「帰国子女」で良かったな、って思います。かつては否定しようとした自分の中の「アメリカ」を今ではせいぜい可愛がってやろう、と思います。それは捨てようとしても捨てきれない「わたし」の一部、わたしの個性。英語がしゃべれるか、しゃべれないか、それはもう悔やんでもどうしようもないこと。「アメリカ」の好きなところ、嫌いなところが見えるように、わたしは日本の好きなところ、嫌いなところが見える。そして、他の文化であるコリアン文化や他の文化も、おそらくその視点から見えてきたこと。障害者や女性をめぐる問題、アイヌや琉球に対する差別や部落差別、日本の中のあらゆる差別を見過ごせない今のわたしになるために、すべてが必然で、すべてがそこへ至るための道筋を示していたのだ。そう思えるようになってきました。わたしはそんな自分を信じて、教壇に立ち、「帰国子女」の部分も含めて「わたし」のすべてを生徒にさらけ出し、語り続けることにしよう。
これを「帰国子女」特有の自信過剰と笑うヤツは笑え。その笑ったアンタは日本の何が見えている?・・・最近、年齢的にも中年に達したせいか、このように大変開き直って世の中を見つめています。
大上段に構えたところで今回が連載最終回となりますが、このコラムに対する読者のみなさんの率直な意見をお待ちしています。長い間ご愛読(?と勝手に思っているだけ?)ありがとうございました。