私情つうしん 第22号 2001年4月発行
illustrations by 里井弘子(T-GAL)
私は10歳から17歳までを香港、17歳から高校卒業までをフランスで過ごした帰国子女です。今、26歳、大阪府在住。地元のスーパーマーケットで働いてます。
私も帰国後、同じ帰国の人たちとは接する機会もなく、『本当に自分が海外に住んでいたんだろうか……。私は本当に帰国子女?』と思うことがあります(ちょっと大げさかもしれませんが……)。帰国後、入った大学でも、大学時代からアルバイトとして、ずーっと働いている今の職場でも、高校時代の私とは違うような気がします。思えば高校時代、私は自分の意見はちゃんと言うほうだったと思います(それでも、他の外国人の友人たちからはおとなしい日本人に見られていたと思いますが)。
帰国して、大学に入ったのはいいんですが日本で生まれて、ずっと日本で育った日本人というのがわからなかったんですよね。高校時代と同じように自分の意見を言ったほうがいいのか、それとも、しばらくは相手の反応を見たほうがいいのか……。
高校時代、『日本って言うのは……日本人って言うのは……日本の大学(大学に限らず……ですけどね)って言うのは……』っていうような、いろんな話を同じ学校の日本人の友人たちとしたり(時には外国人の友人とも……)、雑誌を読んだりしてて、私は、日本に対してあまりいいイメージを持てなかったんですね。日本にもいいところは、たくさんありますよね。マナーのよさ(最近はあっちこっちで携帯電話がうるさいような気もしますが)、時間の正確さ、デパートなどでの店員の接客態度、などなど……。それでも私は、日本人には本音と建前っていうのがあって、なかなか(全然?)自分の意見や思ってることを口に出さない、日本には上下関係が厳しい……などマイナス面ばかり見えたんですよ。
最近、大学時代の友人ともなかなか会えませんが、それよりも私は同じ帰国の人たちと共通の話がしてみたい。これは私が帰国後ずっと思ってることなんですけど……。住んでいた国はバラバラでも、きっと話は合うはず、と思ってるのは私だけかしら……?
私もみんなと同じように、帰国子女としていろんな思いが積もり積もっているような……。
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私は日本人で英語をマスターしたいと本気で思ってる人って少ないと思う。それは言葉に否応なくひっついてくる文化(つまりは人格に影響を与えるもの)を真正面に深く受け止めようとしていないから。表層だけの文化利用(キリスト教式結婚式、外国人とのひとときのためのエイカイワなどなど)この日本語とそのバックボーンの文化こそ、日本人だーと日本語を教えてて思います。
でも私の場合、今まで完全にこちらからの参加をしていませんでした。一歩距離をおいて『私情つうしん』を見ていました。ちょっときつい言い方ですが『私情つうしん』を読む罪悪感がありました。「帰国子女にこだわるのは逃げだからよくない。」と思っていたからです。私は、大学に入ってから自分が外国に住んでいた(小学4年から6年のとき@アメリカ合衆国)ことを特別意識しないようにしていました。大学に入るまでの私は、それこそ執念で「日本は大嫌い」の一点張りでしたから。これはあまりにおかしい、と思ったので思考方法を変えてみました。つまり、帰国子女であったことが自分の精神形成に与えた影響を過大評価しないこと。これが自分の課題であり、決意でした。ところが、『私情つうしん』を読むとその決意がどうしても揺らぐんです。結局、自分のあり方になんとなく不安を感じる時に『私情つうしん』が新しくなっているかな? とチェックするという状態が続いていました。
でも、「『帰国子女』の片隅にいる、まだ見ぬ友へ」を書いているChi-chanさんの文章を読んで私の態度が変わりました。私も発言してよいのだな、と考えています。「(半)帰国子女」もそれはそれである。「帰国子女」とは別の経験をもっているのかもしれません。
春休みにNYに行って来ました。そのときの感想が古家さんの書いていた感想とおなじでした。「みんなが違うことが大前提」の世界。とても居心地がよかった。帰国して『私情つうしん』を読んで、やはりこのHPに出会っていて良かったなと思いました。
自分が感じたこと、考えたことが自分の意見である。当たり前なんだけど、私にとっては大発見です。そのおかげで、今までもやもやしていた『私情つうしん』への思いも、意見として認識するようになりました。私はこんなことを考えていると言いたくて、他の人の意見も聞きたくて、それから私も帰国子女の人々の友達をほしいとも。
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