logo 私情つうしん 第21号 2000年5月発行
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frog 私情つうしん へのメッセージ

by 田代里美
by のぶ
by Rika
by 佐伯幸弘
by 塩崎泰三
by Anne Picker
by アヤッペ
by 中谷友美

あなたも『私情つうしん』にメッセージをお寄せください。

田代里美

 はじめまして。 私は中国の大学で日本語を教えています。 日本と中国の教育を比較するたび、しみじみと感じることがあるので、 それを書きます。

「日本の学校って、なんて自由!」

 日本の教育は画一的だとか、没個性的だとか、管理主義だと言われていますが、それは違うということがわかってきました。

  中国人学生と話すたび、彼らがいかに枠でがんじがらめにされてきたかを感じます。権威をもつものに対して意見を唱えることが許されないのです。 なにせ、この国では結婚するために「職場の許可」と「健康診断」 が必要なくらいですから。(許可されなかったら、結婚できないってこと!?)

  私が日本の学校の話をすると、中国人学生は「日本の学校って楽しそう」とうらやましがります。 たしかにヨーロッパやアメリカに比べると、枠にはめているのかもしれません。しかし、比較する対象を変えると、日本の姿は違ってくるようです。


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のぶ

 「日本の学校って、自由!」とは考えた事もありませんでしたが、今回田代さんのメッセージを読んで自分の考え方がいかに狭かったかに気付きました。ありがとうございます。

 思えば高校時代の中国人の友達で、男の子からの電話を受けてはいけない子などいました。授業での中国の文化の話や本で読む中国では、 子供たちも女性も、ほんとに辛い事を乗り越えて生きていってるんだな、と思います。 できるだけ沢山の異文化を学んで、世界の中での自分の立場を理解したいです。

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Rika

 「帰国」してきて自国の人たちとの違いに悩むっていうのは日本だけじゃないですね。クアラ・ルンプールにいるマレーシア人の男性でアメリカとイギリスに留学した経験のある人も私が日本で感じていたと同じようなものを感じていたそうです。マレーシアには「○○人(民族)はこういうものだ」と決め付ける傾向があるので、それに当てはまらない彼はマレーシア国内とシンガポール位しか知らない同僚との間で難しさを感じていたそうです。(何か敷居のようなものが出来ているようで。)

 また、彼がアメリカにいたときは、滞在していた地域の人々の持っている人種に対するコンセプトが「白人か黒人」というカテゴライズの仕方だったので、東南アジア人の肌の色がローカルには理解の範囲外だったらしく、結果としてそこには本当に馴染めなかったそうです。

「帰国子女」であれ「外国人」であれ、「わからないから一括りに自分の理解できる範囲でカテゴライズする人」っていうのは、自分が同じような立場にならなければ「帰国子女にもいろいろいるし、一言で言い表せない」「外国人といっても世界は広いし、いろんな人がいる」というのを判らないわけで、無理に判らせるのって出来ませんよね。角立てても面白くないから、開き直って楽しもうって最近思ってます。もっと大切な事に時間を使いたいから、余計な事で神経すり減らしたくないです。細かいことでよくローカルに言われることが「個人」じゃなくて私の「国籍」でレッテル貼りされる内容が非常に多いですが。「日本人なのに英語ができるのはなぜか」の答えとして「小さい頃イギリスに住んでいた」と言うと、イギリスで10代の時に住んで私の人格形成にどのように影響したかなんて彼らは構いはしない。単に「この人は日本人だけどイギリスに住んでいたから英語が出来るのだ」で完結してしまうのです。

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佐伯幸弘

 『「ラテン」についての暴論』を楽しく読ませていただきました。「近代以前の人間はすべてラテン的であった」そうだったに違いない。時間を忘れるのがラテン人であれば、そう、私の父はラテン人そのものだった、とふと思い当たりました。

 私は青森県の津軽の出身で、両親は農業を営んでいました。日の出とともに起きて仕事を始め、日没を見ながら田んぼから帰って来る、といった「自然」人的な生活をしていました。ですから時間にはたいへんおおらかで、時間の誤差はプラス/マイナス1時間ほどもありました。夕方5時の会合というと、まあ、7時前には行きません。どうせ会場に誰もいないのです。時計は必要なかったようです。我が家にも時計はもちろんありましたがいつも時間が合っていないし、壊れて動かなくなっても父はいっこうに直すそぶりもありません。
 これは母から聞いた話ですが、ある日、暗いうちから父が起きて畑へ行ったときのこと。月明かりで畑を耕していたのですが、一向に日が昇る気配がない。あまりに暗いので家に帰ってきたら午前2時だった。起きたら仕事、が身についていたのでしょうね。

  実は、この父はとてつもなく無口の人でした。ふだん声を耳にしたことがありません。したがって、運がいいことに叱られたことはありません。もっとも、誉めてもらったこともないのですが。ところが、それでも父はラテン人なのです。この無口の固まりみたいな人が、酒が入るといきなり豹変、突然饒舌になって、世間の悪口は言うわ、自慢話はするわ、大声は出すわ、しまいには踊り出す始末。おお、なんともラテンです。
  今は亡くなってしまった父ですが、「ラテン」という観点から父をもう一度見直そうと思っています。

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