私情つうしん 第2号 1995年8月発行
これでいいのだ
千葉県教育界のっとり編

by 萩原SUSAN陽子
今や千葉県の教育界で私の名を知らない者はいない。千葉県随一の問題教師、もとい、個性派教師といえばSUSANをおいてほかにはいないはずである。
着任式の挨拶は当然、ニューヨーク・ブロンクスなまりのall English、呆然とした聴衆の見守る中おもむろにメモを取り出し、"Mina-san, ohayo-gozaimasu."と、へったくそな和訳をしだしたもんだから、その後ひと月は日系アメリカ人で通ってしまった。次に打ち出したのは「SUSANニューハーフ説」である。原因はハスキーな声であった。乱暴な言動(注釈:合気道の有段者で、社会人になってからも毎年全国大会で演武している。現在、道主直伝の本部道場所属。ヌンチャク、青竜刀、手裏剣などの武具マニア兼格闘技マニア)+教師らしからぬ派手な外見(ラテン系の整った顔+見事なプロポーションの170cm長身、ついでに通勤に使っている車は赤いCR-X, Del Sol=太陽、2seater sport type convertible、まさしく陽子様のために造られた車!!!)。それら仕事上マイナスとなるであろう要素をすべて「何でもアリ」に変えてしまった。SUSANの行くところ生徒の人だかり、興味本位に近付いてくる生徒たちに、意外にも「人の道」(と言っても主に性教育)を面白おかしく説いちゃうワケだから、どんな生徒も味方になりたがるし、言うことを聞きまくる。
ここまではお調子者のザケンナ話だが、こっからはマジです…。
結論から言うと、調子良く仕事し過ぎて不眠症になり、体調を崩してしまったのだった。バレー部の朝練のため5時に起きて7時には学校に着いていた。放課後も当然、部活動のためdesk workはお持ち帰り、帰宅すると食べて風呂入って仮眠してから(どぉしても眠い!)ノート点検、夜中の3時くらいまでかかって翌5時起きagain…。土日は部活の大会や練習試合を組んでいて週休0日。しかし、よく努力をする生徒たちで、一生懸命のノートやバレーの練習を見ると、こいつらのためなら死ねる!!!と思ってしまう。季節も悪かった。南国育ちのため、冬になると鬱になる気質(でもスキーは好き)で、本物の鬱病になってしまったのである。人間は眠れなくなると健康な判断力が働かなくなるらしい。机に向かうと、ねばならない仕事が山積しているにもかかわらず、まったく手をつける気力がわかない。自分で自分が初めてわからなくなった。かわいい生徒たち、尊敬できる同僚・上司に囲まれて、それでもなお仕事のできない自分は生きる資格すらない。社会のゴミだ。私は体力不足(寝不足)を全部自分の実力不足・努力不足と思い込み、気がついたら校長に「気が狂ったようなのでクビにしてくれ」と訴えていた。昼夜が逆転して、夢かうつつかわからなくなっていた。
校長は精神科医を紹介し、千葉県教育委員会に掛け合って3カ月間の有給休暇をくださった。医者に病名を聞かされ、初めて安心した。それでもなかなか前向きな思考ができず、昼間から何もせず家にいる自分に罪悪感を否めなかった。1カ月が過ぎたころから、友人とたくさん会った。「たくさんの友人」ではない。私は友達は少ないと思う。小・中学校の友人は、日本人学校だったため全国に散らばっていて、関西地区に飛ばねば会えない。高校で帰国したが、あまりに突飛な私は変人であった(顔はいいのにねぇ)。大学で体育会合気道部女子主将を務めたあたりから、やっと処世術を覚えた。その大学時代以来、唯一頼りになる一流外資企業に勤めている同い年の彼女も、世界的なジャズ・トランペッター(彼女の父親よりも年上)との結婚があって離れていた。
正月休みに鹿児島で日本のカヌー界の第一人者と、ヨットの花形と会ってきた。前者は冒険野郎+小説家としての老いの苦しみに、もがいているようだった。後者は私と同年代で衝撃的であったが、その世界では異端視されつつあり、実は悩んでいたらしい。人はみな、固有名詞である以上、生きていくのは大変だ。
また父の出張ついでに転地療養と称してフィリピンに同行した。スペイン統治時代の面影が色濃く残っており、それがかつて住んでいたブラジルに似ていたため、当地の社交界では水を得た魚のように振る舞えた。向こうの人は英語の質で階級がわかる。向こうに亡命しても生きていけるよう、政財界に名を売っておいた。まさに世の中、何でもアリだ。
平成7年度4月より、私は職場復帰した。中途で投げ出した学級の生徒は新任先生のもと、3年生になった。私は新1年生の副担任という、1番ラクなポストに着いた。配慮があってのことだ。SUSANサポーターのために、いたるところで今回の不祥事の釈明会というか、講演会をせねばならなかった。まだまだ鬱病は知られていない。まじめな人ほど何とやらというが、お調子者のほうが「躁鬱病」のケがあってアブナイと思う。私はいまだに期待の目を向けられるとヨワイ。この人、また何かやってくれるんじゃないかという期待に、ついつい応えてしまうのだ(自意識カジョー)。ビョーキにならない程度、パフォーマンスしてやろう。今日も掃除の時間、ベランダからの黄色い声に、バクチュー(わかってんだろうなァー、後ろ向きの宙返りヨ。元・体操部にゃ、どってことねぇー)で応えてしまった。フッ…私はカッコエエー。そんなワケで、学年・男女を問わず、私はウチの生徒が大好きだ。
今年度は初期研修といって、教員歴5年以上の職員の勉強会がある。同期の教員仲間と会ったら、もう伝説ができあがっていた。一時は転職も考えたSUSANが(漫画家になりたくて休職中、集英社に殴り込みをかけた+友人にエステサロンの経営者の話を持ち込まれた)、不死鳥のように教育界に返り咲いたのである。狭い世界だ。思えば初任1年目研修の時から、人騒がせな私はずっとそのメンバーと遊び狂ってきたのだった。真相がバレないワケがない。以前にも増して、この仕事が好きになった。命をかけてもいい。今度は無責任なかけ方はしない。息が長く続くよう、大切に大切に生きていくんだ。
さぁて、千葉も掌握したことだし、そろそろコレ(この私情つうしん)を足掛かりに、東京へ出て、全国統一か?!こんな才能溢れる変な教師は、全国区にもそんないないハズ。武道・球技全般、語学、漫画、カラオケ、ディスコ、ニューハーフでフィリピン政財界にコネを持つ、何でもござれの28才(元旦生まれ)、オラオラ、かかってこぉい!!!