私情つうしん 第2号 1995年8月発行

OとFとの往復書簡


 この欄は、大山智子(O)と古家淳(F)の間の往復書簡という形の連載です。二人とも帰国子女、世代は違っても月刊「海外子女教育」誌などを舞台に帰国子女教育、国際理解教育などを中心にした問題意識のなかで文章を書く仕事をしています。
 折々にもった疑問を互いに問い、互いに答えていくなかで自分たちの考えを深めていくことができればと思っています。
 飛び入り参加も歓迎しますので、どなたでも気軽に割り込んできてくれたらうれしいと思います。


「帰国子女」になるとは?

第2信−−OよりFへ

 お手紙ありがとうございます。
 REPATRIATED CHILDRENとは名訳ですね。
 ちなみに私がニューヨークで通っていた学校は、インターナショナルスクール、それももともと世界中からニューヨークに転勤してくる親の子どもたちのために創設された学校でしたから、一部を除いては皆、各国のEX-PATRIATED CHILDRENでした。逆に海外を転々と渡り歩いてきてアメリカへREPATRIATEしたアメリカ人が転入してくるということもありました。しかし、そんな学校でしたが「海外子女」「帰国子女」にあたるような言葉を学校の中で聞いた覚えは一度もありません。
 ところで、今、私は日本にいて、普通の人の100倍は「帰国子女」というコトバを使いながら過ごしています。けれども、本当はいつでも「帰国子女って何?」という問いを抱えています。
 以前、帰国中学生のシンポジウムをした時に、「ほかの国に滞在していて、帰ってくれば帰国子女だという扱いになると思うんです」「『扱い』になるというのと、自分の中で自分が帰国子女だと思えるようになるのとは違うと思うんだけど」という意見のやりとりがあったのを覚えていますか? このくだりは私に非常に大きな印象を残しています。私にとって「帰国子女」というコトバは「親の勤務の都合で何年間か外国で生活した」という長ったらしいフレーズの代名詞でしかありません。
 「帰国子女」とは、性質や能力を説明する言葉ではないのです。英語ができるだとか、討論や問題解決型の勉強に慣れているだとか、漢字が苦手であるとか、そんなことは「帰国子女である」ことではありません。私は英語がわかるから「帰国子女」なのではなく、積極的に自己主張をするから「帰国子女」なのでもなく、ただひとえに中学・高校時代を海外で過ごしたから「帰国子女」なのです。そういう「海外育ち」を帰国子女と呼ぶなら、勝手にそう呼べば、ってなもんです。
 けれども、自分が帰国子女だと思えるようになるか、となると難しくなってきます。帰国して2ヶ月目に私は友達にこんな手紙を送りつけています。
「基本的に私は“NYで過ごした”という事実を特殊視したくはないんだよ。私にとっての中高時代はNY以外ではありえないんだから。東京で生まれ育った人間にわざわざ東京で過ごしてきたその人生の時間の意味を問う人間がどれだけいるか。ふつうはそれを当たり前のこととして考えるよね。それと同じことだよ…と思っているのに、どうしても自分自身にその意味について問うのは私が必要以上にそれに敏感になってるからかな」。つまるところ、内面的に自分がどう帰国子女であろうか、あれるかを考えていたわけです。けれども思いを巡らすうちに、だんだんどうでもよくなってきました。
 「帰国子女」というコトバには日本への強力な磁場が持たされているように感じます。しかし、海外に出たことによって日本という国の磁場が解体され、相対化してしまった時点で、私にとって「帰国」とは「自分の国」に帰ることではなく、日本という数ある国の一つを自分の人生を展開する場として選び直すこととなったのだと言えます。そして私は内面的に「『帰国』子女」になろうとすることをやめました。
 国はよく親に譬えられます。母なる国であったり、父なる国であったり。リービ・英雄氏のエッセイにいたっては継母=ステップ マザー(正確には「継母語=ステップ マザー タング」について論じている)まで登場します。帰国子女にとってどの国が母で、どの国が継母か、「生みの母より育ての母」なのかなどと考えることは一興だと思います。でも、「親はなくとも子は育つ」という偉大なコトバもあるじゃあないですか(笑)!「海外育ち」を「帰国子女」と呼ぶならそれはそれ。そう呼ばなければならないような「母国(おや)の心、子知らず」で、私はいつでもどこでもただのオーヤマなのさ、とうそぶいていようと思います。
 次回はぜひFさんの「帰国子女」というコトバへの思いを聞かせてください。世代も違うだけに、興味深いお話が聞けそうです。楽しみにしていますね。それじゃ。
    
(O)


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