私情つうしん 第2号 1995年8月発行

異文化伝道師になりかけて

by 中沢保生

 海外勤務や海外取引の多い企業が、社員に対して外国語研修を行なうだけでは十分でないと認識し、異文化間コミュニケーション研修や異文化適応トレーニングなどを実施する例はかなり一般的な傾向になってきた。大学でも学生の海外研修、海外留学を盛んに行なっている所では、渡航前後に同様の研修を実施する所が多い。さらには講義や演習として「異文化間コミュニケーション」関連の科目を開講している所もかなり増えてきた。
 かく言う私も、この秋から「異文化間コミュニケーション」というゼミを開始するために準備を進めていた。当地長野に赴任して7年目にして自分の専攻分野と関連の深いゼミを担当するということもあり、また首都圏と地方都市の異文化問題に対する関心の温度差を目の当たりにしていたこともあって、さて何をどうやって教えようかと思案を重ねていた。異文化と接し適応するための技術や知識を盛り込もうか、自文化中心的な態度と異文化寛容的な態度を自覚してもらおうか、そもそも「文化が異なるとこうも違うのか」という、地方都市に暮らしていては体験しにくい異文化ショックをお見舞いしてやろうか、などなどあれこれ考えを巡らしていた。
 その際、何をもって「異文化」とするかという問題はゼミの内容の計画を立てるときに最初におさえておくべき前提の一つだが、どうにも考えがまとまらずにしばらく放っておいて、とにかくゼミの受講学生が異文化間コミュニケーションの「常識」を少しでも吸収できるような内容にしようと、開講のだいぶ前から入念な計画を立て始めていたのである。そんな折り、『私情つうしん』#1が大々的な予告宣伝もなくヒョッコリ手元に舞い込んできた。その中の古家君の『「文化」は名詞か形容詞か』を読んでいて、異文化を体系的・教科書的に扱うことの難しさが改めて私の中にクローズアップされてきた。やっぱりこの問題を置き去りにしてはいけないよ、となったのである。昔の人も「初心忘るるべからず」と説いた。
 初心に還ってみると、ゼミの計画を立てている時に入念に計画すればする程ふと自分自身の中に一つの前提があることに気がついてきた。A.一般の日本人(とくに都市部に対する地方の)はまだ異文化間コミュニケーションについての理解や関心が低い。中には異文化という言葉さえ知らない人もいる。B.異文化間コミュニケーションの必要性さえ感じていない。C.その認識を改め、異文化コミュニケーションに目覚めさせなければならない。D.その役割を担って登場したのが私だ。
 言わば異文化EVANGELIST、もっと言えば異文化治療士(or師)を演じようとしているのではないか。ここで思いだしたのは、週刊文春に掲載され、後に単行本にもなっている『読むクスリ』に紹介されていたエピソードである。ある大学の異文化間コミュニケーションの講義で「あなたの身の回りの異文化間コミュニケーションについて100字で記せ」という試験問題に、ある学生が寄せた答案が紹介されていた。
−−ラーメン屋で、アラブから来たらしい人が僕の隣に坐って、ラーメンを注文した。「チャーシュー(焼豚)入れないで下さい」その人がいうと、ラーメン屋の親父は答えた。「あいよ、代わりにシナチクたくさん入れと くよ」(上前淳一郎著『読むクスリ19』文藝春秋社)
というものだ。その親父さんが「豚肉を食べない文化もある」と知っていたかどうかは別として、少なくともその客が自分とは異なる文化に属する人間であることは彼の容貌などから分かっていただろうと思う。だからと言って親父さんはその事情に合わせた特別な応対をしたわけではないようだ。親父さんは「異文化」という言葉の意味を知っている必要は無かったのである。異文化伝道師の説教・感化も異文化治療士の処方箋も絶対に必要というわけでもないところに「異文化間コミュニケーション」の原点があるのかも知れない。
 私事ではあるが、数年前にカリフォルニア州にあるクヨモという村を調査で訪れたことがある。ロスアンジェルスとサンフランシスコのちょうど中間の地方都市から、さらに内陸に通じる1本の国道を車で2時間以上走ってたどりついた、遠くに見渡す山また山に囲まれた広大な盆地にポツンと取り残されたような農村。訪れる人などめったに無い様子だった。いつ村に入ったのかも気づかぬ程辺鄙な感じだったが、その境界とおぼしき所に車がさしかかった時、看板が立っているのが見えた。車を降りてその看板を見たら、上から順に村の設立年、海抜の標高、人口が並んでいて、その一番下にそれらの数字の「合計」が書かれていた。アメリカ人特有のジョークと言ってしまえばそれまでだが、よくありがちな「ようこそ、○○州へ」という文句とはまたひと味違って、村に住む人達の来訪者への歓迎の気持ちが感じられた。来訪者が最初に通過する村の入口にこういう形でメッセージを置くところに、よそ者を受け入れるようなフレンドリーなゆとりが伝わってきた。住所表示や交通標識にすべて外国語を併記したり、交通機関の車内アナウンスを外国語で流したりするのも異文化への配慮であろう。しかしこういうさりげない配慮というのも、また異文化間コミュニケーションに通じるものがあるのでは、と感じたことを思いだした。
 こういうラーメン屋の親父さんの話やクヨモという村での経験を思いだしてみると、ラーメン屋の親父さんがどんな人なのかと、人間への関心が湧いてくる。クヨモの村の入口にこういう看板を出そうと考えたのはどんな人(達)なのかと、その人(達)に思いが及ぶ。ここに、大学で扱うべき異文化間コミュニケーションの内容を計画する時の大事な別の前提が見えてきた。コミュニケーションは、国と国、集団と集団との間でなされる類のものも考えられるが、まず基本は個人間のコミュニケーションだろう。異文化間コミュニケーションでも事情はほぼ同じであるはずだ。先の古家君の文章でも述べられていたが、文化を個人のレベルから考える視点が必要になってきたとも言える。ある文化の特殊性や他の文化との相違点を単に紹介し、別の文化では人間の思考様式や行動様式が日本とはこうも異なると指摘しても、学生に単なるステレオタイプを植えつけるだけになってしまいそうだ。
 その後異文化間コミュニケーションを担当する大学関係者と実践例を交換する機会がいくつかあった。目隠しをした相手を言葉を使わずに道案内する例。学生の家庭の食文化、たとえばお味噌汁の味は父方のものか母方のものか調べてみる例。何種類かのロールプレイやシミュレーションゲーム。共通することは、言葉や考え方、暮らし方の異なる人間への対応を観察、体験して、個人を通して文化に思いを馳せることである。もちろん授業料を戴いて開講するからには、教科書的知識や技術を提供したり望ましい態度の形成を促すことも必要ではあると思うが、「学生諸君、今こそ目を醒まし給え」という異文化伝道師になることはとりあえず止めようかなと思った。


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