私情つうしん 第2号 1995年8月発行

定本:内国子女教育の歴史

第1章 戦後日本の再生

§1 敗戦とエクソダス

文・古家 淳
挿絵・本多さつき

SFか、パロディか、それとも単なる幻覚か。問題の新連載、スタート!!
挿絵1 1945年8月。日本のいちばん熱い夏。戦争に敗れた日本人は「ごめんなさい、ごめんなさい、もう戦争なんかキライです、二度としません許してください」と世界に向かって平伏し、「ゼッタイ、平和!」主義の道を歩みはじめた。
 コーンパイプをくわえて厚木基地に降り立った連合軍総司令官マッサカサー元帥は、日本の土を踏み、「私にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」と名台詞を吐いた。
 マッサカサーのとった政策は、大きく分けて二つである。一つは日本人の遊興民化(ユーミン政策)であり、もう一つは浮浪民化(フーミン政策)である。日本的ファシズムのみなもとには日本人の農耕民的勤勉さと島国的な閉鎖性があるとマッサカサーは見抜き、このとき現在の世界に広がる高度娯楽文明の種はまかれたのでる。
挿絵2 遊興民化を進めるにあたってまずマッサカサーは天皇と二人でかっぽれを踊っている写真を公表し、日本人を瞠目させた。ついでアメノウズメノミコトの子孫たる天皇をはじめとする一団を組織して全国をおかげまいり行幸に回らせ、天皇自らによる「楽神宣言」を国民に浸透させた。中には「楽朕(らくちん)宣言」と誤解した人々も多かったようだが、ともかくこのことによって日本人はようやく戦争の悪夢から開放されたことを実感し、文字通り狂喜乱舞しながら全国におかげまいりの渦が生まれた。このときのお囃し、
「おかげでな、ころりとな、負けたとさ。おかげでな、するりとな、抜けたとさ」は津々浦々に響き渡り、戦後日本人のテーマソングとなった。内外の新聞は「日本には国家神道に代わって踊る宗教が生まれた」と報じている。
挿絵3  おかげまいりの流れにのって在所を離れた人々が増えたのを確認すると、マッサカサーはフーミン政策を始動した。すなわち戦勝国から日本への援助をすべて断り、その代わりに遊興民と化した日本人を芸能移民として受け入れるよう、各国に要求したのである。
 そんなに壮大でもない、しかし大規模なエクソダスが起こった。マッサカサーに吹き込まれた「I shall not return」という呪文を口々に、日本人は連日大挙して、あるいは連合国の輸送機で、あるいはまた各地の港から引き揚げ船に乗り込み、世界中に散っていった。
 日本に住む人間の人口はあっという間に10分の1、20分の1になり、やがて100分の1にもなった。戦火によって破壊された都市はそのまま廃墟となり、やがて自然の緑に蔽いつくされた。天皇は京都に遷り、毎日清水の舞台でさまざまな芸能を披露する国民の象徴となり、ユーミン政策にもフーミン政策にも乗り遅れたわずかな日本人は、山間の農村で細々と稲をつくる日々を送るようになった。

§2 高度成長=カルナバル

 マッサカサー元帥がもしも計算違いをしていたとすれば、それは日本人が遊興民としても勤勉であったということであろう。世界各地に散った日本人たちは、それぞれの国に伝わっていた芸能や文化、音楽などを巧みに取り入れ、日本流に味付けし、あっという間に自分たちのものにしてしまった。初期においてはサルマネのワルノリと言われていた日本人のエンターテインメントであったが、1960年代も後半になると世界中の芸能が日本人に席捲されるようになった。いわゆる「奇跡の高度成長」である。各地で育まれた日本人エンターテイナーは、世界中に広がった日本人のネットワークを媒介にして国際的なスターとなっていった。
挿絵4 その最初の例が、もともとはエジプトのメンフィスを拠点にタトゥーインの砂漠地帯でトラックの運転手をしていたというヒバリ(ラーク)・スカイウォーカーであろう。彼女はロック演歌という新しいジャンルを切り拓き、世界のポピュラー音楽の分野に革命を起こした。しかし晩年はその栄光に溺れ、ドーナツの食べ過ぎで亡くなったと伝えられている。
 また1970年頃になるとエレキギターを中心に数人がグループで歌うことが流行し、「虎」や「蜘蛛」などが世界中の女性の紅涙をしぼり、そのコンサート会場では下着を振り回し失神する少女も少なくなかった。彼らはイギリスの「小金虫」やアメリカの「転石」などにも影響を与えた。中でも「鷲」の『加州の宿』はアメリカのグループながら日本人の精神世界を見事に取り入れた曲として知られている。
 ミュージカルでも、日本人は世界をリードする作品を数多く発表している。夏目漱石の小説を原作にした『猫たち』、あるいは盆踊りの踊り手としてオーディションを受ける若者達の身の上や心情を独唱を多用しながら描いた『ボンダンス・ライン』などは世界各地でロングランを続け、もはや古典と呼ばれる存在になっている。
 またハリウッドでも日本人は活躍し、中でも『フーミンのトラさん』シリーズは、毎年のように制作され続けた。これはいずれもストーリーが同じで、ロサンゼルスのリトル・トーキョーに住むユーミンである主人公、トラさんはフーミンの常として必ず世界のどこかに旅に出、そこで絶世の美女と巡り合う。二人は激しい恋愛の末、めでたく結ばれて幸せな家庭を築くのであるが、トラさんはその幸せが永遠に続くものではないことを悲しむと同時にかりそめのこの世での幸福に溺れることをおそれ、やがて一人でリトル・トーキョーに舞い戻ってくるのである。このシリーズは現代の源氏物語と称賛され、日本人の無常観をよく表していると好評を博した。また、毎回登場する世界各地の美女として起用されることは女優の名誉と考えられ、彼女らにはすぐトラさんとくっついてしまうことから、ボンド・ガールという称号が与えられた。
 こうして日本人は世界の芸能、音楽、エンターテインメントを支配するようになり、毎年2月にブラジルのリオデジャネイロで行われるカルナバルには世界中からユーミンフーミンの日本人が集まり、乱痴気騒ぎを繰りげる習慣が生まれた。

挿絵5

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