私情つうしん 第19号 2000年1月発行

前号よりつづく
連載の初回に述べたように、誰も自分の唯一の名前を自分で選んでつけてはいない。私の周りの「日本人」にも、自分の名前を気に入っていない人は多い。しかし、国境とか言語の違いが絡むだけで、問題は比べようもなく深刻になる。「民族名」を名乗ることを善とする人達は、「真澄」ちゃんにも日本社会で「チンチン」と名乗ることを奨められるのだろうか。この名前だけは特別だ、などと言うのは議論のすり替えであり、問題の争点を覆い隠すことになる。この例は50年の間に蓄積された問題の、氷山の一角に過ぎないことに気付いているのだろうか。「民族名」を名乗ることのみを善とする人達は、「民族名」という考え方そのものに内在する問題と、その背景にある社会の存立基盤を、どのように考えているのだろうか。このような問題と「戦後補償」は、全く違う次元に位置することに気付いているのだろうか。
言語の違いに起因する問題はさらにある。こちらは至ってシンプルで、日本語を母語として育った私にとって、「千佳」を完璧にハングルチックに発音することはできない。韓国留学を経て、発音だけはネイティブ並と言われた私でも(ホンマか〜っ!?)困難なことなのに、全くハングルのできない人達にとっては、自分の「民族名」を発音することはとても難しい。名前は自己表現の手段の一つでもあるのに、自分で正確に発音もできない名前に、自分の名前である意味があるのか、というのが素朴な疑問である。 このような経緯から、私は(4)の「金・千佳(きむ・ちか)」に改名することを決意していた。なぜすぐにしなかったかと言うと、じゃまくさかったからである。怠け癖の染み着いていた(いる?)私にとって、学「籍」簿から、銀行口座の名義とキャッシュカードから、クレジットカード、等々の名称変更(ふりがな一つ変わるのも、名称変更扱い)を全部やる気合いは、何かの区切りでもないと起こらなかったのである。ははは(^-^;)。
かなりパフォーマンス性の高いミドルネームの発想は、計画を温めていた(ダラダラしていた?)この間に生まれてきた。「ちょんか」時代が長くなればなるほど、改名したときに振り回されてしまう人が増え、その度合いも高まる。自分自身の中でも、愛着が強くなる。結局9年も使うことになった「ちょんか」を、はいさようなら、と捨ててしまうのも忍びない。「ちょんか」は捨て切れないが、やっぱり根っこは「ちか」なのよね〜、といったところから出た苦肉の策である。少し格好をつけてみれば、ルーツである韓国(朝鮮民族)を示す「ちょんか」と、固有のものであり、且つ自分の現居住地をも示している「ちか」を組み合わせて使うことを、私は自分の中での多民族多文化共生と捉えている。そして、そういう自分の名前のあり様が、自然に受け入れられるような社会は、私の理想なのである。
最後に付け加えておけば、もう陽の目を見ることはないだろうが、「金本・政子(かねもと・まさこ)」の名前だって、はいさようなら、と捨てたつもりはない。「金本・政子」時代も私の一部だし、その時に得たことや、友達も思い出もいっぱいだし、私をこの名前でのみアイデンティファイする人達もまた、私にとっては大切なのである。
その意味で私は、私のことをどう呼ぶかは、呼ぶ人に任せたいと思っている。特にこの名前で呼ばれたいという希望はない。ただ今後出逢う人々には、「きむ・ちか です」と自己紹介していくことにはする。

筆者に手紙を出す