logo 私情つうしん 第18号 1999年10月


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 なんと1年ぶりの『私情つうしん』です。
 幹事一同(と言っても2人だけですが)それぞれに「本業(?)」に追われ、ついつい時間がたってしまいました。この間、気を揉んでお待ちいただいていた方々には深くお詫び申し上げます。
 ところで、この間ニュースレターは発行できなかったものの、『私情つうしん』としての活動を停止していたわけではありません。一つ、将来への大きな芽が生まれていました。まずはそれについてご報告しようと思います。
 みなさんご存じの通り、『私情つうしん』インターネット版では、アクセスして来られた方なら誰でも書き込みのできる電子掲示板を用意しています。ここに書き込まれたメッセージは、同様に誰でも読むことができます。昨年秋から、この掲示板に何件か、卒業論文についての協力依頼が寄せられるようになりました。つまり大学の卒業論文で海外/帰国子女教育やその周辺の異文化間コミュニケーションなどをテーマに選んだ学生さんたちから、アンケートへの回答や情報提供を求めるメッセージが度々登場したのです。それぞれ異なる大学に通い、本人が帰国子女である場合もあればそうでない場合もある学生さんたちでした。その住まいの範囲も、関東(首都圏)に3人、関西に1人、そして沖縄に1人です。
 そこで編集室としては、まず最初にこのようなメッセージを寄せてくれた人たちに、「みんなで集まってみないか?」と呼びかけてみました。同じ世代で同じ問題関心を共有する人たちが一堂に会して話し合ってみれば、何かが生まれるのではないかと考えていました。その呼びかけや日程のお知らせも同じように電子掲示板に出しましたので、「自分は卒論では扱わないが、興味がある」という人や、「まだ大学1年生なんですけど、リポートでこのテーマを書こうと思っている」というような人も集まってくれました。そして、10月23日と11月15日の2度に渡って「卒論の会(仮称)」が開かれました。それぞれ10人以下のこぢんまりした会でしたが、『私情つうしん』の編集室のある事務所(実は海外子女教育振興財団が発行している月刊『海外子女教育』の編集を10年以上やってきていたり、ほかにも海外/帰国子女教育についての仕事を多数やってきている会社なので、この分野の資料はかなり揃っていたりする)を図書館がわりに使っていただいたり、それぞれが見つけた資料を交換し合ったり、あるいは最初は異なる問題関心を抱いているように見えていた2人の学生さんが実は同じ問題を表と裏から考えていることを発見したり、自分と異なるテーマを追究している人と一緒に議論に参加して異なる視点から自分のテーマに光をあててみたりと、なかなかおもしろい展開が生まれました。2度とも沖縄の人はさすがに参加してもらえず残念でしたが、2度目の時には関西から上京してきてくれた人もいました。また、顔を合わせられない時には電子メールが相互に飛び交い、そこでもさまざまな情報交換が行われていたようです。

 せっかくこういう機会が生まれ、こういう仲間が生まれたので、編集室は次の展開を考えています。この「卒論の会」を母体に何かできることはないだろうか。たとえばこの秋、同じように大学の卒業論文で『私情つうしん』に関係するようなテーマを取り上げる人もすでに出てきています。大学の卒業論文に限らず、高校生のリポートからプロのアカデミシャンの本格的な研究まで視野を広げれば、これまでにも何件も同じように情報提供の依頼が寄せられてもいました。こういうアカデミックな部分でも、『私情つうしん』が貢献できるのではないだろうか。
 その種蒔きとして、今回はまず昨年度の卒業論文で『私情つうしん』に集った人々をご紹介することにしました。

大鹿真希
東京女子大学・現代文化学部地域文化学科
「日本人の異文化体験−プラスからマイナスに移行するときー」
1980年代半ばを境に、帰国子女の異文化体験への評価が変化し、同時に、彼らの社会的地位が上昇した。その時期に焦点をあて、移行した理由を探っていく。そしてその過程で、評価されるようになった異文化体験は、英語圏におけるものではないのかという仮説を導き出す。
蔵森 牧
中央大学・総合政策学部国際政策文化学科
「拠り所としての『帰国子女』−異なるものを受け入れられる社会へ−」
日本の社会が異なるものを認めないことにより「帰国子女」であることが特別視されたりするので、そうではなくありのままを受け入れていく必要性を提言。
冨岡謙太郎
同志社大学・文学部教育学専攻
「バイリンガルとバイカルチュラル コードスイッチングと行動−−帰国子女を対象として」
「言語が切り替われば、それに伴い行動も変化するのではないか」という仮設を言語には文化という背景があるのだという考察を基に検証する。
中尾 美恵子
一橋大学・社会学部、町村敬志ゼミナール
「帰国子女が見た日本社会−帰国子女の優遇は妥当か−」
自分自身が帰国子女枠を使って難関大学へ入学したことに対して、帰国子女は不利なんだから当然と思う気持ちと、でもやっぱり日本の受験地獄に比べれば、帰国子女は優遇されている、と思う気持ちの葛藤があったことがこのテーマを選んだきっかけ。
内容としては、学校現場、さらには企業社会の中でも優遇されることが多くなった帰国子女の存在を明らかにし、帰国子女が優遇される理由を研究者の言葉等を通して言及しながら私の見解をまとめたものです。
日本人が主流であること、人並の生活を望む中で帰国子女の優遇は生まれた。帰国子女だけが優遇されるのは妥当ではない、というのが結論。
前城奈緒子
沖縄国際大学・文学部・英文学科
「第二外国語や異文化が子供に与える影響−アメリカに滞在した日本人の子供の場合−」
 私は自分の子供を英語と日本語の両方操れるバイリンガルにしたいと思っている。そのためにも、英語をマスターするには、外国に行ってそこで生活する方が近道ではないかと思った。
 しかし、現実はそんな簡単なものなのだろうかと疑問を持った。両方の言語が中途半端になってしまうセミリンガルになる危険性もあると言われている。そこで、人格形成の大切な時期に、子供が海外で生活した場合、その子に言葉も含めてどんな影響を受けるのだろうということに興味を持った。

・私が学んだこと

  1.  バイリンガルには様々な利点がある。また、同時にバイカルチュラルになることも大事。
     多くの帰国子女の言葉からも、彼らは海外で苦労してきたが(日本でも)、幼い頃に海外で生活できたことをよかったとしている。もちろんそれまでに様々な心の葛藤もあるが、自分は自分らしくすればいいんだと分かった時、また楽しむことができる。
     両方の言語や文化に触れた子供たちは可能性に満ちている。両方の良い面、悪い面を知っているので、客観的な見方ができ、柔軟性がある。お互いの国と国との架け橋になることができる。
     このような人が増えると、これは我々の社会(日本でも世界でも)にとって大きなプラスになる。
  2.  バイリンガルを目指すあまりに、子供の心の安定を保たせることを忘れてはいけない。英語よりも、話す中身が大切。
  3.  子供は外国語の習得や異文化の適応が大人に比べて早いが、子供も子供なりに苦労しているということ。特に最初の言葉の壁はとても大きい。英語の習得と、日本語の保持の大変さ。
  4. セミリンガルという言葉は、「否定的なレッテル」であって、子供がこれから能力が伸びるということも否定してしまっている。それにこの概念はまだ確立したものではない。