私情つうしん 第17号 1998年8月発行
| 土屋さんは正真正銘(?!)の「帰国子女」である。前川さんが言うところの「自分たちと違う人を認めない」人と、「自分の意見を押し通す」人との狭間で悩んでいる彼女のために、どういう答えがあるだろう? |
土屋えみ
私は今年の4月に大学生になりました、帰国子女です。高校は帰国子女がいたって多い学校でしたが、今いる大学では帰国子女の人には一人も会ったことがありません。私がいるのは法学部で、他学部の、国際政経学部などには帰国生がいっぱいいると聞きました。同じ法学部でもクラスによっては「帰国子女率」が高いそうですが。ところで、私がいやなのは、今自分が帰国子女であると人に言うのがとてもためらわれるような状態におかれていることです。
一人、二人の友人を除いて、私は自分が帰国子女であることを言っていません。というより、言う必要性が無い限り言わないでおこうと思っています。何人かの国際政経学部の友人たちと話していたときのこと、彼らは国際政経では帰国生が多いので、英語の授業が普通のクラスと上級クラスに分かれていることについて話していました。彼ら一般生にとってはそれが大変「むかつく」らしいのです。最初はそれを聞いて一般生の人はこと英語に対してはコンプレックスがあって本当にひがみやすいな、いやだなあ、と思ったのですが、また別の日、今度は法学部の友人と話していたときのことです。彼女は帰国生がとても多いクラスの子なのですが、彼女が言うにはその帰国の子達は所かまわず英語でしゃべり、一般生が一人グループの中にいるときも、その子をまったく無視して英語で話していたそうです。
そんな目にあって、帰国子女は嫌い、英語を自慢している、と言わない人がいるでしょうか。でも私が思うにきっとその帰国の子達にもいろいろあるのだと思います。英語をしゃべらないと帰国グループから仲間はずれにされるとか・・・。なんだか悲しくなってしまいました。もちろん自分も友人も帰国であろうとなかろうと、仲良くやっていっている人たちもいるのでしょう。でもそうでない人たちもいる、というか、むしろ多いような気がします。
私は相変わらず英語の授業ではわざと英語を下手に発音し、あてられてもすらすらとは答えられないふりをしています。自分を隠しているのが苦しいという思いもあったような気がしますが、今では本当の自分を知っている友人が少なからずいるのだから、それでいいと考えるようになりました。でも、そうしていることに私はいつか後悔するときが来るのでしょうか。英語で会話をする帰国子女、それをいやがる一般生、そして英語を話したくない帰国子女、みんなに言い分があると思います。そのどれもが正しいし、どれもが間違っているような感じがします。
私はよく考えた末に今の状態を選んだつもりでしたが、あるいは何もできなかっただけなのかもしれません。どの道を選んでも得られるものはあるし失うものもあるにちがいないから−−そう考えているのですが。
筆者に手紙を出す