logo 私情つうしん 第16号 1998年6月発行
ajisai

アメリカの大学を選んで

by 緒方さやか

in ENGLISH by the same writer.

 今、私のいる現状は理想的なのだろうと思います。アメリカ人の友達も、日本人の友達もいます。ただ、いまだにアメリカ人の「友達」とは話題がなくなってしーんとなると気まずいですし、自分がsecondary friendだということをひしひしと感じてすごく悲しいこともあります。話題がなくて、別に嫌いでもない人の悪口を言ったりすることもあって、そうするとしゃべっていて言葉がカランカランと空っぽなのを感じます。覚えた「会話のパターン」の繰り返しで成り立っているおしゃべり。そんな時はひどく空しさがおそいます。

 いつか私は後悔するでしょうか。

 しないと思います。

 いつも、苦しい中にも楽しみを見つけて、歩いていけると思います。

 ただし、空しさを抱えて?

 笑いでいっぱいの毎日でも空しさがあるというのは、しかし、どこででもそうなのかもしれませんね。

 今、書きながら、これは違う、と思いました。
 空しさがあるっていうのは、本当に自分にとっていい環境にいるのではないのかもしれません。 でも、そう簡単に「日本に行って帰国子女の友達がいっぱいいたら、私は真に幸せになれる」というものでもないでしょう。人生はそんなに単純ではありませんよね。
 でももしかして、日本に帰ったら空しさはないかもしれません。中が空っぽで外が広がっているよりも、しっかりした芯があって、広げられるものの方がいいですよね。でも私にはこの例えが適切なのかどうかも分からないのです。

 自慢たらしく聞こえるかもしれませんが、私はここでいわば「成功」することができたので迷っているのだと思います。"Try it if you have an opportunity, enjoy it if you do it" が私のphilosophyでした。小さい頃にも外国にいたので、英語の勘は持っていました。おしゃべりで、よくspeak outする方です。苦労もしました。間違いは星の数ほど。たくさん傷ついたし、変なことに対して過敏になったりもしました。1年半かかって言いたいことが言えるようになって、3年たった今、大勢の中でも話を聞き取り、ついていけるようになりました。そうしてついに得た友達と楽しい毎日とを、きっと私は手放したくないのでしょう。たとえ時折空しさを感じていても。

 でも私は、ここで自分が「成功」できなかった方がよかったとは、もちろん思いません。私は自分自身が好きです。「空しさ」はもしかしたら、私の好きな今の私と、自然な、本当の私とのgapであるのかもしれません。つまり今の私は余分に「明るく元気な子」になっているとも思えるのです。英語の生活の中で私の中の一部は『私』に活かされていません。日本語の私は、しゃべっていてもたとえば「行きませうか」と言ったりするなど、言葉で遊ぶ人です。でも英語ではそれができません。この3年ほどの間に、2、3回はうまく言えたことがありますが。

 寂しい、のでしょうか?

 Americanバージョンの明るく元気な私のかげに隠れてしまっている、Japaneseバージョンの私のいく人かが、ここは寂しいよぉ、と私の中でしくしく泣いているのでしょうか?

snail  でも私は進みたい。
 アメリカで、もっとたくさんの人に出会っていきたい。

 もしも私が日本の中でもこの進み続ける意欲を持ち続けていられる自信があったなら、間違いなく私は日本の大学への進学を選んでいたでしょうね。私は「意欲的」ではあるかもしれませんが、自分自身を追いつめないとなかなかやるべきことをやれません。
 楽しい日々なら、それはそれで満足して、毎日を楽に過ごして、いつかまた違った次元の空しさに深くつかってしまうかもしれません。

 だから多分。今は進むのを止めたくないから。
 いわば、keep on pushing myselfするために、私はアメリカの大学を選ぶのだと思います。

 選ぶことのできる自分は幸せだってことも、忘れないようにしなければいけませんよね。

 こうして書くことのできる自分は幸せなのだ、ということも。



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