私情つうしん 第14号 1998年2月発行

定本:内国子女教育の歴史

第5章 内国子女教育の展開

§1 内国子女の自己主張 (承前)

文・古家 淳
挿絵・本多さつき

連載の前の回は?

 内国子女として、声高に自分を主張することは本人も言っていたようにあるまじき振る舞いであったが、ユーミンとしては何よりも賞賛に値する行動であった。この少年はまず教育界でヤポネシア中を講演旅行に走り回るようになり、やがてテーマパークの表舞台にすら立つようになった。その唱えるメッセージは「海外子女」を含むユーミン・フーミンを糾弾するものであったが、不快感をさえ楽しむような自虐的な趣味はテーマパーク文化の中ではかえって高尚なものとさえ見なされていたのである(第2章§3「ヤポネシア観光案内」参照)。
illustration プロデューサーたちはよってたかって少年を祭り上げ、歌に踊りに映画にCDROMに、ありとあらゆるメディアで少年をショーアップした。当の本人はまったくそういう分野の才能のない、まさにノーミンを絵に描いたように地味な人物であったが、その朴訥さがまた屈折した人気を呼んだ。「変わらなくちゃ」あるいは「こんな生活、もうイヤ!」という少年が生んだ流行語は、本来そうしてユーミンに利用される自分や、ユーミンへの適応を強いられる内国子女教育に対する批判の言葉として発せられたものであったが、世間ではまったく逆に「もっとおもしろくならなくちゃ」と受け取られ、数多くのノーミン子女が少年の(見かけの)活躍に憧れるようになった。またユーミンの中にも、ノーミンのフリを売り物にする者が現れた。何を聞かれてもぼそぼそと要領を得ない返事をつぶやくばかりで、何をさせてもどうしようもなくへたくそな芸人が人気を博し、ヘタウマと呼ばれるジャンルが流行した。
 渦中の少年はやがてそんなヤポネシアの現状に愛想を尽かせ、アメリカの野球リーグにわたりフーミンとして細々と身をしのぐ道を選んだが、ヤポネシアにおいては彼に刺激を受けたノーミンの若者がぞくぞくとデビューし、ブームを盛り上げていった。


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