私情つうしん 第14号 1998年2月発行
いじめという名の制裁 (1)
by Leah Moore
私は11才から14才までの3年間、父の仕事の都合で英国で過ごしました。両親の方針で、英国では現地の公立学校に通いました。当時の英国では植民地や元植民地の人達が優遇ビザで入国出来るということもあり、外国人の生徒は公立学校では珍しくはありませんでした。英語が出来ない生徒のために、国が英語教育クラスを設置してくれていて、決められた区域の学校の外国人生徒達が皆、送迎バスに乗って数カ月間通うシステムになっていました。このクラスを終える頃には中学校(Secondary School/6年制中等教育学校)に進んでいて、授業には特に不自由なくついて行けるようになり、クラスメイト達と映画スターや格好良い先生の噂話でキャーキャーと騒いでいました。恐らく、この時が私にとっていちばん楽しい時代だったと思います。
私には軽度の障害もあります。3才の時に顔面神経麻痺にかかったため、顔の右半分の動きが鈍く、右耳が殆ど聞こえません。さらに、乳児の時にかかった脱臼の回復が悪かったために走るのも遅く、運動神経も鈍いのです。顔のことでは英国の学校でも男の子にからかわれたりしましたが、「いじめ」と定義出来るような酷い目にはあいませんでした。
「帰国子女」で、「顔が曲がってて」「足がのろい」という要素が揃っていたことが、日本の中学校での「いじめ」の原因となりました。特に、英語が話せることと欧米型思考が身についてしまったこと、そして成績が悪くなかったことが、日本の中学生にとって「むかつく存在」になったようです。
日本に帰国した時は12月で、引っ越し先が神奈川県で独自の高校入試システムがあったこともあり、本来なら2年生に編入すべきところを1年下がって1年生に編入しました。1年生のクラスでは、特にいじめはありませんでした。しかし、いじめにつながる「むかつく原因」を私は知らず知らずのうちに作っていました。髪型、制服が出来上がるまでの間着ていた英国の制服、学生鞄とは異なる型の鞄。外見上の違いの他に、授業中の異様な態度も挙げられるかもしれません。先生が問いかけるような言い方で話をすると、私は手を挙げて発言しようとしました。それは日本では非常識なことでした。私は冬になると鼻がつまるのでよく鼻をかみます。英国人は人前で鼻をかむのが平気です。しかし、日本では人前で鼻をかむことは「汚い」と思われるらしく、「ハナタレ、死ね!」という落書きを机にされたこともありました。
2年生になると、いつの間にか「シカト」され、「黴菌扱い」されるようになりました。理由も何もわかりません。誰かが私の肩に触れて、それを他の人にタッチしたり、私が触れたものを誰かに投げてまわしたり。体育のフォークダンスの授業は最悪でした。私と手をつなぎたくない人達は、小指の先だけ触れるようにしたり、まったく手をつながなかったりしました。教師も知って知らぬ顔をしていました。何かを話し掛けても「にやにや」と笑いをうかべながら無視したり、私が廊下を歩いていると避けて通ったり。
いつの間にか他のクラスにも広がり、学年中に広がりました。中心になっていたのは、(証拠もなく憶測に過ぎませんが)教師達からの信頼が厚く、誰からも慕われていた運動部系の女の子達だったようです。「運動部系のほうが推薦入試に有利・体育会系のほうが就職に有利」と言われていた時代でした。
クラス替えをすると、大抵は親しかった友達とは別のクラスになります。しかし、3年生でも、2年生の時に唯一仲良くしてくれたA子と同じクラスになりました。「A子しか友達がいないから、先生が同じクラスにしてくれたのよ」という噂が飛び交っていましたし、教師側の意図がそうであることも私は察しがついていました。
2年生の時の「シカト」「黴菌扱い」は相変わらず止まない状態でしたが、A子を中心として彼女の1年生の時のクラスメートや小学校が一緒だった子等が集まって、グループが出来ました。日本の中学校で3年生になって初めて「女の子の5人グループ」に入ることが出来ました。3年生の6月の修学旅行の時までは、そのグループで楽しく過ごすことが出来ました。グループのメンバーは、前述のA子と、B江、C代、D美、そして私の5人でした。私はそのグループ内で成績が良い方だったので、最初は結構頼りにされていました。
しかし、5月の修学旅行が終わってしばらく経ったある日、C代から「私達もうあなたの友達じゃないから」と宣告されました。理由は趣味が合わないとか、そんなことを言われました。突然のことで何が何だかわからなかったので、休み時間などに何度か説明を求めました。しかし、その宣告と同時にA子以外の3人の女の子は他の子達と同様に「黴菌扱い」「しかと」を始めました。
また、A子の幼馴染だったので一緒のクラスになったことがないにもかかわらず2年生の時から仲良くしていたE杖からも「あなたといるとむかつくからもう付き合いたくない」と手紙をもらいました。すべて1日に起きた事柄です。
そして、その日の夕方、美術室に呼び出されると、元友人達から言葉によるリンチを受けました。その時のB江の泣き顔を覚えています。とても優しい子でした。「あなたとつきあってると、A子までひどい目にあうのよ! A子から離れて! A子がかわいそう!」と、B江は泣きながら、しかし怒りをこめて言いました。「ほんとにあんたがいると、他の人達が相手にしてくれないのよ。いいかげんにしてよ!」と怒りながら椅子を投げたのはD美でした。彼女達の怒りは、A子への思いやりから異端分子である私に対してぶつけられたのでした。
A子は「私はみんなともつきあうし、あなたとも今まで通りつきあうよ」と言ってくれましたが、教室ではA子はほとんどD美達と一緒にいましたから、放課後や週末だけのつきあいとなりました。コンサートに一緒に行ったりするのをB江達が黙認してくれていたのは、それはそれで有り難いことだったのかもしれません。
絶交の手紙をくれたE杖には、手紙の返事として「もう付き合わないというのだったら小額だけど修学旅行の時に立て替えたタクシー代、返して欲しい」と書きました。すると、翌日返事がきて「ごめんなさい」と謝ってきて、交換日記が始まりました。交換日記は、E杖の悩みや家のことなど、私のほうが聞き手になっていたような気がします。
こうして、私の中学校3年生1学期後半からの孤立生活が始まりました。
(次号に続く)