私情つうしん 第13号 1997年11月発行

ペキンスカヤの中庭で  (11)

by 中津燎子

連載の前の回

 ある時、アメリカ人の学生から、
「日本人の言うハイという言葉はホントはどういう意味なんだろうか? yesと全く同じなの?」 ときかれたことがある。思わず
「あんたもやっぱりそう思った? 私も昔、大いにフシギがったもんよ」
 と大笑いした。英語のyesははっきり100%の肯定を意味し、それを口にした者の責任を問われることもある。しかし、日本語の「はい」をそれと同じに扱うと困ることがおきて来る。日本人自身も気づいていることだが、「はい」に100%の肯定の意味なんかない。せいぜいあったとしても40%。次の40%が「あなたのおっしゃることはきこえましたよ」というあいづち。残りの20%が「私が耳にしたことについての責任は持ちません……」ということだ。
 日本人が「はい」と言ったって何の意味もない。時々確認のためにハンコを押させることもあるようだが、それすらあてにならない。だから外国人並に外国育ちの人間には「不思議」そのものである。外国人に日本語を教えている先生たちや日本人に外国語を教えている先生たちに切にお願いしたいのはここンところで、きっちりと文字以外の部分を教えて戴きたいのである。特に日本人に対して外国人が英語で話をする時、要注意なのは相手の日本人の「yes」の連発である。人によっては機関銃のような早口でyes, yes, yesと言う。よく観察しているとこれは明らかにハイ、ハイ、ハイというあいづちの感覚でyesを口にしているようだ。
 一般に西洋人種は(と括ってしまうと困るが、私の出会った人たちに限定しよう)、あんまり、日本人のように相手サイドに合わせるようなあいづちを打たない。もちろん相手の話、意見や方針に共鳴すればyesと言うかもしれないが、それにしても何かしら自分の意見や感想をのべたがる。めったに「何から何まであなたに賛成よ!」と言うことはない。むしろそういう西洋人がいたら、私のアンテナは警戒警報をひびかせる。それ位珍しい。
 さて、そのyesについてもう一つ。私がアメリカで暮らしたのは30年前だが、その頃、見も知らぬ他人、年長者、社会的に上位の人、あまり親しくない人に対しては、肯定をあらわす場合常にyesだった。ごくごく仲間内でないと「ヤア(yeah)」を使わなかった。それは社会の中の礼儀としてしつけられた。ところが今、日本人の若者の間に英会話が流行しているのかいないのかよくわからないが、塾にやって来る若い人たちの多くが英語でのやりとりに「yeah」を連発する。
 大して親しくもない相手から「yeah」と返事されて、さてはアメリカ本国の礼儀も変化したか?! と、知りあいのアメリカ人教授にたしかめたら、彼は目を三角にして、
「それそれ!! 僕は毎日、クラスの学生にyesと言うようにしつけてるんだ。30年たとうが何だろうが、礼儀作法のわくは変わらないよ!! yeahなんてとんでもない」
と言った。じゃア一体誰がどこで、このyeahを純真(?)な日本人青年諸君に教えこんだのか? と二人で頭をひねりまくったが、はっきりした答はみつからなかった。読者の中にご存じの方がいらっしゃったらお伺いしたいものである。


プロフィール
1925年福岡市に出生。3才で、日本領事館で通訳として勤務する父に連れられて旧ソ連領のウラヂオストック市に渡る。1936年、日本に帰国。戦後、1956年渡米。結婚し2児を連れて1965年帰国。以降、英語塾を開き、東京・大阪・九州で異文化対応と発音訓練を教えて現在に至る。