私情つうしん 第12号 1997年8月発行
6月下旬、F氏に香港返還リポートを書くと宣言したくせに、いざ現地に行ってみると何をリポートすれば良いのかさっぱり分からなくなってしまった。正確に言うと、リポートする元気がなくなってしまったのである。
だいたい、旅の始まりからついていなかった。飛行機の中で上映された映画は「ザ・エージェント」。その1週間ぐらい前にわざわざ有楽町に見に行ったばかりだった。私は何度、あの嘘のようなトム・クルーズの笑顔に向かって「金返せ!」と思ったことか。それでも100万ドルの夜景が飛行機の中から見られると思うと許せた。が、しかし、香港は雨だった。夜景は見事に霧に包まれていた。成田のチェックイン・カウンターのお姉さんに嫌な顔をされながらも、ねばりにねばって得た窓側席も意味がなくなってしまったのだった。出だしで狂った私の香港返還リポートは当初予定していたものとは違う方向に進んでしまった。私は一国二制度やこれからの香港が中国に及ぼす影響等について語る気はない。どうかアグネス・チャンのインタビューを聞くノリで私のリポートを読まないでいただきたい。
香港に着いた日の夜、早速私はランカイフォンを訪れた。すでに12時を過ぎていたというのに、人の数はぜんぜん減りそうになかった。その人ごみを前に一瞬、私は香港に来ていることを忘れてしまった。私の目に映ったのはチャイナドレスを着た白人だった。広東語がぜんぜん聞こえてこなかった。アメリカかどこかの国で開かれる「香港祭り」にでも参加しているような気分になった。このことはランカイフォンだけに限ったことではなかった。湾仔(ワンチャイ)でも山頂(ピーク)でも同じことが言えた。今から植民地になるのではないかと思うほど欧米人の姿が目立った。私はこの返還騒ぎにうんざりしてしまった。
6月28日、22時から翌朝の10時まで「UNITY」という大イベントが九龍湾で開かれた。私はH.K.I.S.(香港インターナショナルスクール)時代の仲間と一緒に「UNITY」に参加した。約8千人が参加したイベントだったのだが、そのうち80パーセント以上が欧米人だった。考えてみれば入場料が580HKドルもするのだ。香港の一般市民が気軽に参加できる値段ではなかった。この時期、各地で貸し切りパーティーなどが行われたが、ほとんどが欧米人主催のものだった。H.K.I.S.時代の仲間に様々なパーティーに誘われたが、私には「UNITY」だけで十分だった。すでに「UNITY」で私は欧米人ばかりのイベントに疲れてしまっていた。
欧米人に対して一種の嫌悪感が生まれたが、やがてその嫌悪感の矛先は自分に向けられてしまった。私は昔を思い出したのだ。小、中、高と香港で過ごした私はインターナショナルスクールに通っていることに得意になっていた。どこか優越感にひたっていたところがあった。アメリカ人やイギリス人に囲まれ、すっかり自分を見失っていた。自分もアメリカ人になろうとした時期が確かにあったのだ。香港に対して植民地的な扱いをしたことが自分にはなかったとは言えないのだ。昔の自分なら今回の仲間の誘いに気軽に応じ、それなりに楽しんだことだろう。そして香港返還を楽しい思い出にしたはずだ。
高校卒業後、日本に帰国し、私は「アジアの帰国子女」となった。とても便利な言葉だが、私はあまりこの「帰国子女」という言葉が好きではない。一人一人が「帰国子女」というカラーでまとめられてしまう気がするからだ。また、「帰国子女」自身がその言葉に甘えている部分がある気がする。実際、私もその言葉に頼っていた。自分が「帰国子女」だと思うことで、そこに自分のルーツが存在しているという錯角に陥っていたのだ。今回、香港に行ったことで、そのことがはっきりした。私は何も理解していなかったのだ。「アジアの帰国子女」ということで自分のルーツがアジアだと信じ込んでいた。人一倍アジアが好きだと思っていたし、生活経験のあるシンガポールや香港に対してのこだわりは誰にも負けないと思っていた。が、しかし、アジアと私の間に対等な関係は存在していなかったのだ。親友だと思っていた香港は、私を親友だとは思っていなかったのである。私は外国人の視点でしかアジアを見てこなかったのだ。語学が出来たとしても、土地や文化に精通してたとしても、私は結局、よそ者でしかなかったのだ。香港が私をよそ者にしたのではなく、私が自分を自分でよそ者にしてしまったのだ。
1997年7月1日、私はあることに気付いた。その日が私のルーツの出発点だったのだ。本気でアジアの本質を掴もうとしたその瞬間から、私のスタート地点が出来上がったのである。まだ、何も始まってはいなかったのだ。その土地に住んでいたことや、語学を習得したことが必ずしも自分のルーツになるとは限らないのである。私がシンガポールや香港で育ち、日本の大学に進んだことが、決して偶然に起きたことではないと考えはじめたとき、新たな出発点が見付かったのだ。現在、「帰国子女」と呼ばれる学生たちよ、「帰国子女」と呼ばれることがゴールではないのだ。分かっているつもりが、思わぬ誤解を生んでいることだってあるはずだ。
帰りの飛行機の中でふと思った。私もそろそろアジアに返還されたいなと。