私情つうしん 第12号 1997年8月発行
教員時代、Long BeachにあるQueen Elizabeth号に宿泊して、現地の知人にHollywoodに連れていってもらったことがあった。そんときゃまさか自分がHollywoodを目指す役者になろうとは、夢にも思ってなかったさ。
#11応援席の伊藤秀敏様、お待たせ致しました。Here's the rest of the story.
前編#6の発行日を見たら'96年4月となっていた。あの頃の私はケツが青かった。んなウマい話、あるわきゃねーだろ!!! 今ならワカル。貞操を守るため、私は事務所を変えた。
今いるところは某大手タレント養成学校、日曜の朝刊にデカデカと募集が載っていて、女優のJMやTM、時代劇俳優でwifeがヅカ出身のKMなどを輩出した、以前のとこに比べ、はるかにマトモな所だ。オーディションに受かると入所料は15万、これは前も同額だったので相場なのかも。授業料は¥7000/monthで、専修予科クラスに上がると¥10000、本科に行くと¥12000になる。ちょっとヒネれば出てきそうな額。そこがポイントだ。私以外にだまされている連中は有象無象。
まだ入りたての頃、ワケわかんないながらも所属劇団の舞台に立った。チケット販売義務があり、¥3100の券を80枚もさばかなければならなかった。稽古場に行く運賃や食事代で30万は飛んだ。仕事と両立可能の時間帯で平日の午後6〜9時という稽古にプーの私は楽勝で出て、日曜の平常レッスンにも参加した。
おかげで無審査で昇級し、最短コースで専修予科クラスに上がった。半年が1クールになっていて、演技120分のほかにもう1つ、歌唱・日本舞踊・ダンス・パントマイムの授業120分が必須となっている。私はこえ〜くらいどん欲にレッスンに取り組み、2度目の舞台もクリアした。今度はソロのセリフも長い。貴婦人の役だったのでしっかり上演ビデオも買った。ミュージカルなので踊りも入り、アクセサリーがギラギラ光っていた。やはし頭1コ分、人よりデカいんだな。なんだってこう8等身なんだろう、ホーッホッホ。
公務員の中途退職金はそんなことでアッという間に底をついた。失業手当も出ないことになっている。割のいいパーティーコンパニオンをやってみたが、所詮根性ナシなので3カ月と持たなかった。区役所福祉課のバイトをanで見つけ、面接を受け、見事に仕事をget! 人相がいいと得するね。仕事に慣れるにつれ、公的福祉サービスのもどかしいくらいの立ち遅れを目の当たりにした。今まで思いも寄らなかった世界を知り、演技に人生の悲哀(ブラジル育ちでラテン系の私には全くの無縁)が加味できると信じ、9〜5時の勤務に就いている。職場は人間の質が良く、上司に大変恵まれた。今までできることしかしなかったし、characterで逃げてたから成長しなかったんだ。仕事は、自分の限界を越えてはじめてお給金にありつけるんだね。30にして立つ、自分にしちゃ上出来だ。
次の舞台は来年の秋頃の予定、こちらにも宣伝するので、どうぞよろしく。今のところ、CMの仕事『写ルンです/地下鉄編by高島弟』の1本だけ。それも「写ってねーよ」! 早くTVの仕事、来ないかなー。因みに各TV局に配本するタレントアルバムに自分の写真とPRを載せるのに¥20000かかる。他の事務所でもやっているだろうから、倍率は想像を絶するほど高い。
夢はHollywood進出。その前に地元日本で名を売っとくぜ。モンゴルでの天啓は未だ胸に熱く、翻訳コースを1つクリアしたので英語力も保持しているつもりだ。学習面でも仕事面でも、また演技を通して学ぶことも、底知れない。まだまだこれからだが、生きるって素晴らしーね!!! 今の自分が好きだから、これでいいのだ。