私情つうしん 第12号 1997年8月発行

忘れようにも忘れられない
海外で受けた差別

by Nora KOHRI

前号より続く


自分自身の中にいる偏見との戦い

 信仰を持ち始めてから、私は偏見の虫が暴れだしそうになるときにこんなことを思った。
「この人は神が私に会わせてくださった大切な友である」
「神の国へ行ったら肌の色も、髪の色も、目の色も、言語もなくなるのだ」
「神の目から見たら私達は皆同じに写るのに、私はなんて心が狭いのだろう。これではとても天国へは呼ばれそうもない。当分この地球で修業を積まなくては。私の目から色を識別するうろこがとれたら、きっと神は私を呼んでくださるのだろうな」
 信仰とは別な角度で見たときは、
「もっと人の心を見なくてはならない。みんな同じようにやさしさに心を打たれ、悲しみに嘆き、痛みに傷つく。あの人も、私もどこも変わらないではないか」
「あの肌の下には血が流れている。その血の色は皆自分と同じ赤ではないか。自分が人種を選べなかったようにあの人も国を選んでいないのだ」
「表面的なものが見えなくなったときに初めてその人の心が見えてくるはずだ。きっとこの人は私に多くのものを教えてくれるのかもしれない。それなのに私は表面的なことだけでその人の人格までも否定している愚か者」
「差別をすることは最低の行為である」
 と自分をいましめていた。

差別を受けたら
「権利がある」

 差別を受けたらどうしたらよいか。これはアメリカの黒人に実践的に学ぶ部分が多い。彼らは人種差別と戦ってきたベテランである。人種差別に対しての憾みが根強いだけに、差別をされたら絶対に許さない。声をたかだかに、みんなに聞こえるように騒ぎ立てる。"Hey, I deserve to be served"と。やっぱり言うことが違う。つまり権利を主張するアプローチだ。
 黙っていたら差別はエスカレートするばかりである。ちょうど日本のいじめと同じで「やめろよ」の一言でもいいのだ。黙って石のごとく耐えていたらそれは「どうぞもっといじめてください」とますます差別を助長することでもある。海外では日本が美とする「耐えること」「我慢すること」「黙っていること」は差別行為に対しては通用しないと思う。
 そしてもう少し差別行為に関して鈍感になろう。ほとんどの差別はよっぽど緊張した敏感なアンテナをめぐらせてないとわからないことが多い。それなら「知らぬが仏」で毎日を過ごしていた方が傷つかない。傷ついたら差別を受けた側の負けなのだ。相手の思うつぼにはまらないためにも平静とした態度で、堂々としていればよい。

 

それでも差別は続く

 この人類が持続する以上、差別は続く。偏見とは共存しなくてはならない。しかし差別を行動に起こすほとんどの人が自分個人に対する理解が全くない人である。教養のない人であったり、2度と会わない人がほとんどだ。差別を受けるたびにその人の心の貧しさを悲しく思う。
 たとえ誰の心からも偏見をなくすことができなくても、本当に自分のことをわかってもらいたいと思った人には心で接するはずだ。その人が自分の表面的なものが全く見えなくなるまで、心で接していくしかない。それだけの努力を続けても友情が育たなかったら、その友は最初から友になるべき人ではなかったと解釈するしかない。また偏見の中でしか人を判断できない人間は友として持つ価値もないかもしれない。
 心で接してきた友とは文化、習慣、人種、宗教を優に越えた絆ができる。結局は人間皆同じというところで会話が成り立つ。その友は「〜人」である前に"Yun Hee"だったり、"Mike"だったり、彼らの存在、人格、中身なのだ。そんな友を得るのには時間がかかる。短い人生の中でそのような友にはそう多くは出会えない。それだけに偏見という壁は厚く、高くそびえているのかもしれない。しかし数の問題ではないのだ。なんと多くの人が「〜人は嫌いだ」と何十年と言い続け、たった一人の〜人の心に接したことで、ころっと「けどTae Sunと出会ってからぼくは〜人に対する見方が変わった」と言っているだろう。

「自分がいやと思うことは人にもやらない」、こんな鉄則がある。まずは差別を受けたくなかったら自分自身が偏見を捨て、差別行為をやめることだ。なぜなら差別行為は人の心を深く、深く傷つける。忘れようと思っても、決して忘れられない出来事として脳裏に刻まれていくからだ。


自分の中にある偏見   (付録)

こんな質問表を自分なりに作ってみた。あなたの偏見度チェックします。といったところだろうか。偏見度は自分で採点してください。

  さて、あなたの中にある偏見が見えてきましたか。偏見にいいも悪いもないと思う。絶対誰にでもあるはずだ。しかしそのような免れない偏見をかかえながらもどのように出会う相手一人一人と共存していくかが課題である。


1997.1.21


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