私情つうしん 第12号 1997年8月発行

ペキンスカヤの中庭で  (10)

by 中津燎子

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 人々が喜ぶ夏休みになったが、私にとっては夏期集中講座の季節である。日頃やっている2年間の発音訓練を3日に凝縮して教えなければならないから、ぼーッとしてはいられない。英語の発音なんてそれ程重要じゃないし、イザとなったらカタカナ英語で通じるんじゃないの? と内心そう考えている人々が 90%いる日本社会だから、毎年、私の集中講座に応募して来る人々ものんびりしていた。ところが今年はちがった。
 3日の集中訓練の第1日は呼吸と発声、そして母音と子音の、日・英語の差。2日目は母音と子音、子音と子音の英語音での連結方法。3日目は5〜6行で自分自身をアピールする英語スピーチ。 例年だと受講生たちは最初の子音作りでショックを受けすぎ、2日目の文章でメタメタに崩れ、3日目は出て来ないと言うケースが多かったのだが、今年のグループは全員最後まで残り、授業終了後も私をとりかこんで質問攻めにした。
 そう言う受講生たちの中で一人、とりわけ私の心をゆさぶったS田と言う人がいた。最後の自己アピールスピーチでわかったことだが彼女は日本の大学を出て、アメリカ北部の大学に留学して1年、現在、夏休みで帰省中だった。
 スピーチのルールとしては、姓名、出身地、職業(身分)は出来るだけ1行か2行でかたづけ、残りの3行から4行で「自分」を語らねばならない。彼女はそこで、留学直後から、英語の発音が通じなかったために、毎日が闇であったこと、やっとききとれるようになったけれど、どんなに努力や工夫を重ねても自分の発音をわかって貰えなかったこと、そしてその原因が全くわからなかったのであるが、この集中講座に来て、それは彼女の英語の子音が英語ではなかったからだと気がついた、と言うのである。それだけで既に4行は終わっていたが、彼女の唇はまだ何かを言いたくて言えないもどかしさでふるえ、一寸前からあふれている涙はとまらなかった。「言いたいことが残っているの?」と、私がきくと彼女はうなずいた。「じゃァ、1行で言って下さいね」
「何故……どうして日本の学校で英語の子音をはっきり教えてくれなかったのでしょうか? あんなに勉強したのに……。あんなに苦労して大学の月謝を払ったのに……と思うと私はとってもくやしくてたまりません」
 この彼女の最後の言葉を耳にした時、私は思わず心の中で、日本中の誰ともしれぬ英語の先生たちに向かって、「英語の子音位、はっきりちがうものはないんだから、ちゃんと教えてヨ!!!」とどなりまくった。しかし次の瞬間、その先生たち自身が子音の作り方をくわしく訓練されることがほとんどないらしいことを思い出してげっそりした。私が『なんで(こんな音なし)英語やるの?』と言う意味の本を出版して大宅賞を受賞したのは22年前のことだ。 20年たっても何も変わっちゃいないのが日本である。
「泣くんじゃないヨ、S田!何万人もの留学生たちが切りぬけたイバラの道なんだヨネ。秋には今作っている私のビデオテープが出来上がるから送ってあげる。それで子音の口形を勉強してよ!!」 と私が肩を叩くとやっと彼女の眼がほほえんだ。そうだ、めげるな、S田!


プロフィール
1925年福岡市に出生。3才で、日本領事館で通訳として勤務する父に連れられて旧ソ連領のウラヂオストック市に渡る。1936年、日本に帰国。戦後、1956年渡米。結婚し2児を連れて1965年帰国。以降、英語塾を開き、東京・大阪・九州で異文化対応と発音訓練を教えて現在に至る。