私情つうしん 第11号 1997年6月発行

定本:内国子女教育の歴史

第4章 内国子女教育の黎明

文・古家 淳
挿絵・本多さつき

連載の前の回は?

§3 ヤポネシアの笛吹き男

 内国子女たちは、続々とユーミン・フーミンの学校に入ってきた。それは一つにはヤポネシアのテーマパークとしての開発がいよいよ全国津々浦々へと広がっていったためでもあり、これによってノーミンがノーミンとして生活を維持できる空間が狭まっていったからでもある。彼らの生活していた山深い森は、たとえテーマパークとして開発されることをまぬがれ得たとしても、大気汚染、騒音、光害などによって自然を破壊され、以前のような恵みをもたらすことができなくなっていった。食も職も奪われた彼らは、その子孫を残すためにはもはやテーマパークの中で暮らし、その中で子どもたちをユーミン・フーミンの教育に委ねるほかはないと悟ったのである。
 そのもっとも代表的な例は、長崎県の諌早地方の海辺で漁民(ノーミンの亜種)として暮らしていた、ムツゴローと称する民であった。彼らの生活していた海は最初「踊るネコ」と呼ばれるユーミンたちの一派によって撹乱され、やがて欧州の低地を模したテーマパーク−−最大の見せ物は「長靴をはいたネコ」という、牧歌的な出世物語であった−−の一角として開発されるためにせき止められた。ムツゴローの一派はそのはらいせとして数多くのネコをさらい、道々さまざまな動物を誘拐しつつ列島を縦断した。ちょうど行程に当たった町では、まずネコの大群の到来を恐れてネズミがすっかり姿を消し、一行の通過した後には人間以外の動物がすべてさらわれていなくなっていたという伝説が残っている。ヤポネシアの笛吹きと語り継がれる一大逃避行であった。彼らはノーミンとしての生活を守るために移動を始めたのであるが、皮肉なことにその逃避行はまさにフーミンの起源を思い出させるものとなり(第1章、§1「敗戦とエクソダス」参照。)、しかもその安息の地となった北海道の王国までもが心ない観光客によってテーマパークとして扱われるようになった。何のことはない、彼らはノーミンの暮らしを再現するという新手のユーミンになってしまったのだ。彼らは動物たちに囲まれながらマージャンと呼ばれる前世紀に一世を風靡したゲームをしながら楽しく暮らし、ときにはメディアに自分たちの姿をさらすことによってそのささやかな生活を維持するようになった。
挿し絵

§4 内国子女のユーミン化を目指して

 かくて、ノーミンはなだれを打って里に下り、テーマパークの内部に設けられた学校にはますます多くのノーミンの子どもたちの姿が見られるようになった。困ったのは、その学校の教師たちである。どの学校にも、一人ぐらいはノーミンの子がいるのである。彼らはもちろん、何を聞いても自ら手をあげて答えるということをしない。無視しようと思えばできるのだが、それでは教育職としての面目に差し障りがある。この頃はやったノーミン子女の教育法の一つに、後に「エントツ」と呼ばれた方式があった。どうしても手をあげない内国子女に対して、授業時間中、最初から最後までずっと手をあげさせておくのである。内国子女の一人一人に対して一つずつ、ちょうど十字架を逆さまにしたような道具を用意して椅子に固定し、子どもたちの手をあげさせたまま、縛りつけておくのである。こうしておけば、少なくとも見かけ上は内国子女も授業に参加していることになる。いつでも、心おきなく指名することができる。中には、ユーミンやフーミンの子どもたちがどんなに手をあげ、大きな声で叫んでも一切指名せず、「エントツ」をつけた内国子女のみに答えさせようとする教師もいた。また別の例では、何かまともな返事をするまで内国子女を質問攻めにした教師もいた。 さらに極端なものとして、「イチバン」というものもあった。これは授業が始まる度に何がなんでも最初に内国子女を指名し、返事をするまで立たせておくというものであった。これはもともとユーミンの子どもたちがどんな場面に遭遇してもとりあえず何らかのアドリブでその場をしのぐための訓練として有効な育て方であったが、内国子女にはこんな高度な能力は期待できない。彼らはほおっておけば一時間でも一日でもずっと黙って立っている。内国子女が立たされている場所は最初、教室の中であったがやがて教室の隅へと移動し、さらには教室の外へと進化した。教師にしてみればうまく内国子女を厄介払いできたというものである。
 内国子女にとって、学校は地獄と化した。いずれも、なんとかユーミン・フーミンの子どもたちと同じように育ってほしいという切なる良心からなされたことであったが、本来消極的な性格だった彼らにますますの重荷を課し、さらに寡黙にさらに内向的にしていくばかりであった。この子どもたちにとってさらに不幸だったのは、家に帰ってもその苦しみが理解されないことであった。なにしろ、寡黙であろうが内向的であろうが消極的であろうが、それは本来ノーミンの美徳である。親たちは子どもたちが学校でたいへんよくしつけられているのだろうと安心しているばかりで、いつまでたってもユーミン的な資質を身につけないことを喜んでいるばかりであった。


筆者に手紙を出す

挿し絵画家に手紙を出す お手紙は編集部にも送られます