私情つうしん 第10号 1997年4月発行

ペキンスカヤの中庭で  (8)

by 中津燎子

連載の前の回

 突然、去年の11月、私は二十数年間 自ら決めて実行して来た「発音訓練」のルールを破って、自宅で一人の女性を教えはじめた。
 そもそも訓練ルールその(1)は「自宅での個人レッスンはしないこと」だったのである。その(2)は「必ず3人以上30人以下のグループ訓練であること」。その(3)は「20才以上45才以下の年令であること」。その(4)は「訓練をうける目的と理由が明確であること」。
 11月初めにその女性、Aさんが電話をかけて来た時は既に今年度のクラスは開講して半年もたっており、中途参加はムリだった。
 Aさんは、それなら来期の開講までの間個人レッスンをお願いしたいとねばりにねばったが、年令は49才。制限オーバーだ。
 えんえん2時間の話合いの末、私は自宅での個人レッスンをひきうけ、現在も進行中である。自分で決めたルールをあっさりほうり投げてまで、Aさんのレッスンをひきうけたわけは、ルールその(4)の目的と理由についてのべた彼女の話があまりにも面白かったからだ。
 彼女の目的は単純明快。「英語の音ってどうやって作るの?」
 私の訓練はまさに、音一つ一つの作り方やつなぎ方を教えるのだから、ピッタリの所に来たわけだ。
「目的はわかったけど、英語の音を作ってそれからどうするの?」 と私がきくと、「英語の歌を歌うんです」と答えた。「何故?」「私は、歌手なんです。もう二十年位歌って来ました」
 彼女は関西を中心にして、英語でジャズやポップスを歌って来たプロ歌手だったのだ。
 テレビにこそ出ないが、年に一度は厚生年金ホールでコンサートもやるのだ、ときいて私は「今までずっと20年も歌って来て、どうして今、突然、音のことを気にしはじめたの?」とたずねた。フシギだったのだ。
「私はもともとジャズ専門のピアニストだったんです。歌うことが好きだったもので、ひきながら歌い出し、そして歌手になりました。英語の歌詞ですから最初から発音についてはとても気になりましたが、教えてくれる人がいなかったのです。アメリカ人の先生たちにもつきましたけれど、私の発音のどこかがヘンなのはわかっても、どこがどのようにちがうのか、どうしたらいいのかと言う所は説明が出来ないのです。あきらめていたんですけどね、この数年、改めて何とかしたいと思いはじめました。英・米人の歌手の歌を徹底してききまくっても、どうやってそういう音になるのかがわからない。でも自分がちがう音を出していることは、はっきりわかるのです。何とかして作り方を知りたい。そして自分の音をなおして、納得ゆく音で歌いたい。そう思ってニューヨークに定期的に出かけて行って先生を探したんです。でも、いませんでした。歌唱指導をする人は沢山いても、New YorkのYの発音の作り方は教えられないみたいでした。あんたの音はちがうちがうと言うだけでね。私もはっきりとちがうとわかるので、とてもくやしくて……」
 私はこのYの音のちがいが自分でわかると言ったAさんの聴覚に、これならイケると思った。今まで訓練して来た人々を思い出しても、Yorkをヨークと発音してもそのちがいがききわけられる人はほとんどゼロだったのだ。発音訓練は即、聴覚訓練であることが多いから、ききわける耳を持っていれば年令は問題ではないのだ。
 11月末に彼女のコンサートをききに行ったが、そこで又、私は彼女の歌い方に心底興味を持って、1カ月程、考えこんでしまった。それは次号に書くことにする。


プロフィール
1925年福岡市に出生。3才で、日本領事館で通訳として勤務する父に連れられて旧ソ連領のウラヂオストック市に渡る。1936年、日本に帰国。戦後、1956年渡米。結婚し2児を連れて1965年帰国。以降、英語塾を開き、東京・大阪・九州で異文化対応と発音訓練を教えて現在に至る。